事件・事故があとを絶たず、騒音は頻発、水の汚染も発覚した。すべて沖縄の「米軍基地のある町」で起きていることだ。そこで暮らし、子育てをする母親たちに話を聞いた。
きれいな夜景は……
容赦なく照りつける日差しが幾分やわらいだころ、米軍キャンプ・シュワブのゲート前に小さな明かりが灯(とも)りだす。土曜日、18時30分。『ピースキャンドル』の時間だ。
ペットボトルを再利用したキャンドルを手に、行き交う車に向かって、沿道から海の保護を訴える一家がいた。
「辺野古に基地はいりませんー! ジュゴンの海を守りましょうー!」
手を振り返す人、一瞥して通り過ぎる車、クラクションを鳴らす米兵─と、呼びかけへの反応はさまざまだ。
ピースキャンドルの発案者のひとり、渡具知(とぐち)智佳子さん(57)が言う。
「GWなんて、渋滞で車がゆっくり走るもんだから、200~300台ぐらいにアピールできてラッキーだった」
活動を始めたのは2004年。誰でも気軽に参加できる意思表示を、との思いで、正月三が日と土砂降りの日以外、夫・武清さん(62)や3人の子どもたち、賛同する人たちと毎週欠かさず続けてきた。
「こんなに長く続けなきゃいけないとは思わなかった」
と智佳子さんは苦笑する。
一家が暮らす瀬嵩(名護市)は大浦湾を挟んで辺野古の対岸にある。自宅にほど近い『瀬嵩(せだけ)の浜』からは、埋め立て工事の様子が見える。
「戦闘機はたまに飛ぶ程度だけど、だからなのか、うるさいなー! ってビックリします。これが毎日になったら、どうなってしまうのか」
結婚して瀬嵩にやってくるまで、智佳子さんは「基地問題」を身近に感じることはなかったという。県南部の南城市出身。地元に米軍基地はなく、米兵による当て逃げなどの事件を耳にする程度。そのため嫁いで間もないころ、対岸に見える夜景をきれいと言ったら、夫から、あれは基地だと言われて驚いたと話す。
ところが1997年、宜野湾市・普天間飛行場の移設に伴い、名護市・辺野古に新たな基地を造る建設計画が持ち上がると状況は一変。智佳子さんはデモや集会へ熱心に足を運び、瀬嵩など10の集落の地元住民で結成した団体で共同代表を務め、ピースキャンドルも始めた。基地反対の取り組みに子どもを連れて奔走するようになったのだ。
「集会に子どもたちを連れていくから、地域のお母さんに“なぜ子どもたちに(基地をめぐり言い争う)大人の嫌な部分を見せるの?”と言われたりしました。でも、この子たちの未来(の問題)だよ?」
自分なりの考えをもって、嫌なものは嫌、おかしいことはおかしいと言えるようになってほしい。そんな思いから子どもたちには行動する両親の背中を常に見せて来た。
嫌なものは嫌。そう言い続けてきたのは智佳子さんだけではない。辺野古への基地新設をめぐって'97年に行われた名護市の市民投票では「反対」が多数。それでも止まらなかった。
辺野古反対を掲げる玉城デニー氏が知事選を制しても、今年2月の県民投票や先月の参院選で民意が示されても、政府は「(移設先は)辺野古が唯一」を繰り返す。
「いりません、嫌ですとさんざん言っているのに、国は一方的につきまとう悪質なストーカーみたい。どれだけ理不尽な仕打ちをされても国には逆らえないんだ、逆らうほうが悪いんだ、と子どもたちに思ってほしくない。大人の責任として、最後は正義が勝つというところを見せないと」
智佳子さんは言い切った。