3月11日で東日本大震災から10年。震災直後から被災地に入り、取材を重ねてきたジャーナリストの渋井哲也氏による現地からのリポート第二弾。泥まみれの写真にランドセル……岩手県陸前高田市にある「思い出の品」返却事業のリアル。
東日本大震災では津波が発生したことで、さまざまな物が流された。自衛隊員は、遺体捜索などの際、写真や大切なものと思われるものを、ほかの震災ゴミとは別に集めていた。それらの「思い出の品」の返却事業は、「心の復興」事業として続けられてきたが、震災から10年がたち終了するところが多い。そんな中、岩手県陸前高田市の「一般社団法人三陸アーカイブ減災センター」では、思い出の品を独自に保管し、持ち主の元への返却を続けるようにしている。
震災で学んだ写真の保管方法
同センターの事務所には約6万9000点の写真と約3000の物品が保管。写真は、アナログ写真のプリントのほかプリクラもあり、プリ帳(プリクラのシールを貼り付けた手帳)が発見された場合は手帳を解体して、きれいにしてから保管している。ほかにもランドセルやカメラ、お祭りで使用していた小道具、箱に入ったままの“へその緒”まであった。
「一般社団法人三陸アーカイブ減災センター」の秋山真理代表はこう話す。
「お祭りで使っていた小道具は陸前高田のお祭り道具ではないものもあります。つまりほかの地域のものが津波で流されてきたんだと思います。漁師さんの家にあった木彫りの七福神も数多くあります。写真の場合は、裏にメモ書きがあるものが多いのですが、本人にとっては写真同様、そのメモも貴重だと思います」
「思い出の品」という言葉は東日本大震災後に付けられた言葉だ。環境省の「災害廃棄対策指針」でも「思い出の品」という言葉は以下のように位置付けられている。貴重品は警察に届ける必要があるが、貴重品以外の「思い出の品」については、「アルバム、写真、位牌、賞状、手帳、金庫、貴重品等」と例示した上で、公共施設で保管・閲覧し、申請によって確認する方法を取る、と定めている。それは「自衛隊・警察・消防との連携に当たって留意する事項」の中でも取り上げられている。
同センターでは、市内の事務所で「思い出の品」を保管。津波で流された写真は、独自の方法で洗浄し、すべてきれいにした。
「自衛隊が行方不明者の捜査活動をしているときに、多くの写真を拾い集めました。散乱していたカゴを拝借し、泥だらけの写真をできる範囲できれいにして分別するという作業や保存法は、今後の教訓として残されています。しかし、銀塩写真は変形してしまい、どんどん傷んでしまうんです」(秋山さん)
と、いかにきれいに保存法にするか、日々、悩んだこともあったという。「思い出の品」は、東日本大震災だけでなく、ほかの水害、災害でも見受けられ、これまでに数多くの写真が流されてる。
「'15年の鬼怒川水害でも川が決壊し、持ち主がわからない写真が多く出ました。'17年の北九州豪雨では、高校生が思い出の写真を救済するプロジェクトを立ち上げました。また'18年の西日本豪雨でも写真をきれいに洗浄して、地域の人にとても喜ばれました。そしてこの年に『被災写真救済ネットワーク』を作ったのです。その後、'19年の大風19号で被災した長野市でも、写真洗浄の技術を伝える講座を開きました」(同前)