目次
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ー 冒険家・三浦雄一郎が患っていた難病 ー 起き上がれない状態から聖火ランナーに
Page 2
ー 目標は東京オリンピックで聖火ランナー
Page 3
ー 子どもは叱らず、チャンスを与える
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ー 父と息子の活躍に刺激を受けたメタボ期 ー 進行性の難病を患う女性が教えてくれたこと
Page 5
ー 要介護4から富士山頂への挑戦
Page 6
ー 次なる目標はヨーロッパ最長の氷河

 

「やった!」

 その瞬間、青空に歓声が響いた。2023年8月31日午前7時20分、冒険家の三浦雄一郎さんが富士山の頂に到達したのだ。その隣には、日に焼けた次男の三浦豪太さん(54)をはじめ友人や教え子など、「雄一郎さんの挑戦を支えたい」との思いを胸にした40人近い人々がいた。

冒険家・三浦雄一郎が患っていた難病

雄一郎さんは救急搬送され緊急手術となった
雄一郎さんは救急搬送され緊急手術となった

 今回の挑戦に多くの人が関わったのには訳がある。実は雄一郎さん、2020年に100万人に1人といわれる難病を患っていたのだ。

 この年の6月3日、苦しさで目覚めた雄一郎さんは、首から下が動かせなくなっていることに愕然とした。今までさまざまな病気を経験し、7度の心臓手術を受けてきたが、今回のような症状は初めて。この日は前年に患った脳梗塞の検診に付き添うため、関東住まいの豪太さんが北海道・札幌の自宅まで泊まりに来ていた。しかし、助けを呼ぼうにも思うように声が出ない。

「何とか気づいてもらおうと、テレビのリモコンのボリュームを上げました」

 大音量のテレビとは別に、「おーい、おーい」と自分を呼ぶ声に気づいた豪太さんがすぐに救急車を呼び、雄一郎さんは病院に搬送された。精密検査の結果は「頸髄硬膜外血腫」。首にある頸髄の膜が破れ、流れ出た血が血栓となって神経を圧迫し、首から下の神経が遮断されている状態だ。

 血腫を取り除く緊急手術を受けて一命を取り留めたものの、そのまま入院になった。折しも新型コロナウイルスが猛威を振るい、世間もどこか重たいムードが蔓延していたころだ。

「手術後、妻に激励されましたが、身体が思うように動かないことで、『頑張りようがないんだ』と返事したのを覚えています」

 豪太さんも、いつも前向きな父のネガティブな発言を聞くのは、初めてのことだったという。

「少し時間がたって、最悪の状態を脱したように感じました。もうこれ以上悪くなりようがないんだったら、このままよくなるしかありません。小さな兆しですが、『ここからまた前進したい』という思いがゆっくり大きくなっていきました」

 どんな痛みが襲っても、少しでもよくなるならリハビリに励むと決めた。しかし、87歳の雄一郎さんを襲った頸髄硬膜外血腫は甘い相手ではなかった。

起き上がれない状態から聖火ランナーに

2020年11月に病院でのリハビリの様子
2020年11月に病院でのリハビリの様子

 当時の状況を、豪太さんは次のように振り返る。

「手術を受けたものの、担当の医師からは『普通の生活にはほぼ戻れないと思います。歩けるかどうかも期待しないほうがいいですよ』みたいなことを言われました」

 実際、雄一郎さんは手足にうまく力が入らず、起き上がることもできない状態だった。2か月ほどほぼ寝たきりだったため、筋肉も落ちていくばかり。

子どもたちが美唄市に主に脊髄疾患の患者を診てくださる病院を見つけてくれたんです。私は心臓の状態が悪いので別の病院で心臓にペースメーカーを入れて、美唄で1か月ほど過ごしました。

 2か月も寝たきりでいると、歩くことも忘れてしまっているわけです。なので、全身を支えるロボットスーツを着て、強制的に足を動かす訓練もしました」

 頭をまっすぐにして立つだけで立ちくらみがする。靴も自分で履けない。骨盤底筋機能が元に戻るか否か、つまり排尿をコントロールできるかどうかの問題もあった。しかし、世の成人用おむつは進化し続けている。割り切っておむつを取り入れた。

 ほどなくして雄一郎さんは、住み慣れた札幌に戻る前段階として、一時的に高齢者施設に入った。雄一郎さんには前出の次男・豪太さん、長女の恵美里さん、長男の雄大さんの3人のお子さんもいる。このとき、3人で話し合い、

「少しでも(父を)元の状態に近づけるにはリハビリの組み立てが勝負」

 と、いくつかの医療機関を転院しながらリハビリを進めていく計画が立てられた。

「自分で歩けるようになればいろいろとやりたいことがありました。その目標に向かい、可能性を楽しみながらリハビリに励んだので、つらいということはなかったです」