摂食障害になったMizukiさんは身長162㎝で体重は23㎏まで落ちてしまう。髪は抜け、しゃべることも歩くこともままならない。しかし、母と一緒にスーパーへ行くことだけはやめなかったという。
「家の中には最低限の食料しか置きたくなかったんです。でもそのころに、高校時代の先輩に会って、“あんたのその考え方は違う。しっかり治さないとお母さんかわいそうや”と言われたんです」
誰もが腫れものに触るように接してきた中で、真剣に怒ってくれる人は珍しかった。
「その言葉は素直に受け入れられて、やっと治したいと思ったんです。それから病院を探して出会った先生が“すぐには治らない病気だから、長く付き合わなきゃいけないよ”と言ってくれて。それもすごくラクになりました」
治療も効果てきめんだった。思考に作用する薬を飲んだことで“太る”恐怖心がなくなって食べられるように。体重が増えると気持ちも前向きになった。そこで1年半ぶりに料理を作ってみたという。
「お母さんに親子丼を作ったんです。食べ物に触るのも怖かったし、分量もめちゃめちゃだったけど、この日を境に何かが変わっていきました」
1歩を踏み出した以上、進み続けなければならないという思いが強かったからこそ、最初のハードルが高かった。その一方で“焦り”もあった。
「同級生は結婚して子どもがいたり、仕事を持っていたりと、何かしら役割がある。食べることから始める私は、いつ追いつけるのかと思いました。それに負けず嫌いなので、ただ治るだけではダメ。自分には何ができるかと考えたときに、残ったのが料理でした」
食に執着するあまり、すでに調理師免許も取得していた。気持ちが固まったときにパンの卸売りをしていた母の友人から“お菓子を卸さないか”と誘いの声がかかる。『チョコレートショコラ』を作ったところ大好評! 話はここで終わらず、1年後にはカフェのオープンまで決まる。
「初めに“カフェをやってみたら”と言われたときは、母も私も目が点でした(笑い)。でも、背中を押してくれる人や協力してくれる人がたくさんいて飛び込めたんです」
‘13 年に開設したブログを見て、県外から店に来る人も。摂食障害を抱えた子を連れてくる母親もいる。
「彼女たちにはリアルな話を伝えています。長い間苦しんで、いまだに引きずっているけれど、あきらめなかったから、いいことがあったと」
瑞季さんは最近ようやく、17歳で止まっていた時間が動き出したという。本の出版の報告は、父、母の順にした。
「父に本を届けたとき、言葉にはしないけど喜んでいることがわかりました。そのとき数年ぶりにご飯を一緒に食べたんです。母は、それはもう“よかったね”と。恨んだこともあったけど、改めてふたりとも好きだと思いました」