ボクのスマートフォンで、よく見かける広告がある。
「3日間で絶対禁煙」とか「禁煙時間がひとめでわかる」とか禁煙に関するものだ。もうすでに4年タバコは喫っていないし、このスマートフォンで禁煙に関して検索した覚えもないけれど、そんな広告がよく出てくる。
昔のボクを知っているのか?と思ってしまう。
そうなのだ。
ボクは病気をする前、かなりのヘビースモーカーだった。
一日に4箱ぐらい煙にしていたかもしれない。
原稿を書いているとき、酒を飲んでいるときは、タバコを欠かせなかった。
ニコチン依存症はアルコールや麻薬、覚せい剤と同じように依存性が高いとされている。
それが病気をして以来4年、1本も喫っていない。
禁煙をしたというか、知らないうちに、強制的に我が家からタバコは消えていたという感じだ。今でもたまに酒場に行くと、ジャケットの内ポケットをまさぐって、タバコを探してしまう。
「パパ、タバコはないよ」
そう家族にたしなめられて我に返る。別に、ものすごく喫いたいわけではないのだけど、ポケットのなかを探してしまう。
一種の癖みたいなもんだ。
それを人は常習性と言うのだろうか?
こんなことを書かなくても皆さん、よくご存知かもしれないが、タバコは、たった1本喫っただけで、寿命が5分30秒短くなるという研究発表もあり、2本のタバコで1日に必要なビタミンも体の中で破壊されてしまうほど有害だとされる。
また、隣にいる奥さんや子どもたちの周りで喫ったりしたら、副流煙は一酸化炭素やニコチンの代謝物は喫煙者と同じぐらい体内にたまってしまうという。
自分は覚悟のうえの喫煙だが、奥さんや子どもに害が及んでは困るという喫煙者たち。それではということで、俗に言う「ホタル族」になってはどうだ?となる。
数年前までは普通の姿だったりした。
それが、だ。
近頃では、ベランダでの喫煙が大問題になっていると聞く。
「外の景色を見ながらの一服は格別」
そう思ってベランダを喫煙場所に選んでいる人もいるかもしれないが、多くの場合が、自室の壁がタバコで汚くなるためとか、家族に配慮してという理由がほとんどだ。
そんな人たちがベランダでタバコを喫う。
食後の一服を喫う。
すると、タバコを喫わない家庭のベランダや窓から、タバコの匂いや煙がいやおうなしに入ってくる。
たまったものではない。
奥さんや家族を思って、ベランダに喫いに行くが、まったく関係ない家庭に迷惑をかけているわけだ。家族を思いやっている場合ではない……。
そのような苦情は数年前に比べて、かなり増えているという。
管理組合に申し立てて、ベランダ喫煙禁止になったマンションもある。
どこからか漂ってくる煙のもとをたどって、苦情を言えば近隣トラブルにもなりかねない。管理人さんや管理組合を通して、理事会にあげてもらって話し合うのが最善の策らしいが、上記のように喫煙禁止になるには全体の4分の3以上の同意が必要だという。
どちらもなかなかたいへんなことだ。しかし、喫わない家族にとっては気になって仕方がない。ホタル族問題といい、傾いてしまったマンションや、災害にあってしまった町など、コミュニティで起こる意見を取りまとめ、多数決で決めることは困難を極める。
タバコの煙ひとつでも、隣に住む人とは嗜好も違う。
すでに禁煙マンションなるものが売り出されたりしている。部屋はもちろん、ベランダや敷地内全面禁煙だという。
ボクは病気になる前は「たとえ命を縮めてもタバコを喫う」と豪語していた。たが、いまはどうか?
いま、自分の命の長さは、自分では決められないという当たり前のことがわかった。タバコを喫って病気になるのは自分の勝手だが、病気をしたら多大な迷惑を家族や周りにかけてしまうっていうことは、自分だけの問題ではないということだ。
自分の命であっても、だ。
それでも喫いたいと思う人は、完全密閉式の宇宙服のようにして、周りに迷惑がかからないように、喫うしかないのかもしれない。
〈筆者プロフィール〉
神足裕司(こうたり・ゆうじ) ●1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。Twitterアカウントは@kohtari