今月15日、長野県軽井沢町の国道18号の道路脇に、スキー客を乗せたバスが転落した事故。4月から社会人として就職先も決まっていた大学生ら15人が、寒い冬の未明に、命を奪い取られた。
スキーバスには教育評論家で法政大学の尾木直樹教授のゼミ生も10人参加していた。18日夜、4年生の並木昭憲さん(21)が亡くなった。ゼミ生の犠牲者は4人になった。
「理不尽な事故によって、一瞬にして大切な命が奪われる経験をしました」
尾木氏は19日、いじめ自殺や学校事故で子どもを失った遺族らが主催する集会で講演し、バス事故について言及した。この日、尾木氏はテレビ番組の生出演を断って集会への参加を決めたという。
「ここに来るのもお断りしようと思った。しかし、今日の今日になって、今もなお声を上げて、闘っている遺族の人たちなら、(今の気持ちを)わかってくれるんじゃないかと思って来ました。いつもより上手にしゃべれませんが」
そう言いつつ、涙ぐみながら、言葉を詰まらせる場面が何度もあった。尾木氏が事故を知ったのは15日の昼過ぎ。遅れてツアーに参加するはずだったゼミ生から「先生! 大変です、みんな(事故を起こした)バスに乗っている」と聞かされた。
尾木氏は大学関係者と搬送先の病院へ行くが、何の情報も入ってこない。苛立ちと同時に不安や怒りを抱いた。
「ずさんという意味では、過去のどの事故よりもひどい。報道のみなさんも知らないようなことを聞いている。人として、“あってはならない会社”です。行政はそれを許している。国交相は“まれなケース”と言うが、(格安バスは)いっぱいある。学生は就活や帰省で使う。政府の人も知らない。僕も知らなかった」
並木さんはゼミのまとめ役だったという。母親からの電話で亡くなったことを知った。ゼミ生にも伝え、ゼミ生が1人にならないようにと助言した。
「ゆうべ亡くなった並木君は、タイに日本語の語学ボランティアで入ろうと思っていた。5月から1年間行く予定でした。日本のことをしっかり伝えたいと、バイクで日本全国を回って、“日本ってこんなに素敵なんだ”とタイの子に教えようとしていた。子どもが大好きな子でした」
事故の2日前、ゼミで尾木氏の誕生日(1月3日)を祝った。サプライズだった。尾木氏にケーキを渡したのは事故で亡くなった3年生の西原季輝さん(21)だった。
ゼミ長で、テニスでは全国大会に出場しているスポーツマン。ケーキのプレートには《ママとしても、教員としても頑張ってください》とメッセージが書かれていたという。
今回亡くなったゼミ生4人のうち3人は教員志望。3年生の林晃孝さん(22)は1年間、カナダに留学していた。
「行動派で、すごく人気者でした。並木くんと一緒に視察した学校でも、汗だくで小学生と遊んでいた。稀に見る感性のいい子です」
教え子たちの死は、尾木氏個人の悲しみにとどまらず、「教育界の損失」と残念がる。
「教育現場の厳しさは承知のうえ。だから、みんなストレートに教員になろうとは思っていなかった。迂回路を取って、グローバルな視点を身につけようとしていた。日本の教育をどう変えなければならないかを深く考えていた。人間性も豊かだった。そうした学生だったことを伝えないといけない。卒業前の学生の命が絶たれることはこんなに重大なことだってことを、リアリティーを持って知ってほしい」
一方、負傷したゼミ生もいる。報道で「命に別条なし」と流れたことに尾木氏は怒りを感じたという。
「あの表現はやめてほしい。(病院に)行ったら面会謝絶で会えない子が3人もいる。治っても、その後の人生は地獄。別世界になる。“命に別条なし”と聞くと(無事だという意味で)安心してしまう。しかし(暴れないように)睡眠薬を飲まされ、わざと意識が戻らないようにされている子もいる。重傷のひと言。その子が背負っていくものを考えたら、たまらない」
また、面会できる状態にあっても、母親が、あえて父親とわが子を会わせないことがあったという。
「お父さんでさえ会わせてもらっていない女の子がいる。お母さんが会わせない。可愛い子だったからでしょう。僕も会わせてもらえなかった」
尾木氏の怒りが鎮まることはなかった。
取材・文/渋井哲也