「しつけ」として置き去りにされた小2男子、田野岡大和くんが6日ぶりに保護されたニュースに、世界中が関心を寄せた。
日本民俗学の研究をする成城大学文芸学部の小島孝夫教授は、現代のしつけをこう見る。
「核家族化したことで親と子の2者間での関係になった。だから、子どものしつけは親の物差しだけで決めるものに変わってきたように感じます」
宮本常一著『家郷の訓』(岩波文庫)の表紙には《明治末から大正にかけての暮しの中に、子どもの躾のありようを描いた出色の生活誌》と書かれている。
最晩年の宮本氏に師事したという小島教授は、今回の一件をしつけではなく折檻ととらえている。
「明治から大正時代のしつけというのは、共同体の中で生きる術を自然に教えることでした。昔は主に祖父母が子育てを担っていました」
『家郷の訓』では、祖父と一緒に山へ出かけ、遊びながらも時折、仕事を手伝い、祖父に野草の名前、食用の有無、言い伝えなどを教えられたとする記述がある。
「祖父や祖母は第三者ですから、衝突しない。親の気持ちもわかり、子どもの気持ちもわかる。だから客観的に諭すことができるんです。祖父母が話し、そこで暮らしていく心構えなどを教えてきました。
やがて祖父母がいなくなり、父の仕事を手伝うようになると、父親から仕込まれる。家をつないでいくということを考えると、3世代で子どもを育てていたということです」
『家郷の訓』は、共同体の一員として子どもを育てることについて“人並みのことさえできないということは何よりも恥辱に思われたようである”と記されている。これについて小島教授は、こう話す。
「過去の“しつけ”は村の仲間になる術を学ぶということ」
農業や漁業など一次産業を主体とした村においては、ひとりでは生きていくことができなかった。そのため共同して生きていく術を祖父母は少しずつ昔話や諺という形で教えていたという。
秋田で行われる伝統的な民俗行事『なまはげ』には、しつけの側面が含まれているという。小島教授が続ける。
「親ではなく、子どもを知る村の若者衆などが、年に1度行うというのがポイントです。子どもからしたら、得体の知れないものが、親しか知らないことを叱りにくる。そこで子どもは神様が見ているんだと悟るわけです。劇的な効果があったでしょうね。地域社会で子どもを育てていくという、ひとつの例ですよね」
押し入れに閉じ込めるしつけに関しても、しつけとしての意味があるという。
「昔は家に、個別の部屋などなかったわけです。だから隔離するために蔵に閉じ込めた。これは、自分が行ったことと向き合う時間、そして父親が行うことを、母親やきょうだいが見守っている。後から、母親やきょうだいが諭しに行くんです。第三者が介入することで、子どもも受け入れることができるのです」