健康でいたいと願う人は多いが、健康は万人に平等ではない。
人によって健康に差が出る要因は、持って生まれた身体の強弱など先天的な部分が大きいが、実は後天的な部分も強く関係している。人にはそれぞれ生まれ育った環境があり、さらに職業、経済力、家族構成などに恵まれている人とそうでない人が厳然として存在する。この差が人の健康状態を左右してしまうのだ。これがいわゆる「健康格差」である。
これまで健康格差は社会的格差の大きい西欧諸国で問題視されてきたが、近年は比較的格差が少ないとされてきた日本でもその広がりが指摘されている。
低所得者は高所得者より死亡リスクが2倍近くになるといわれている。健康を良好に保てるかどうかは個人の管理能力によるところも大きいが、その点でいうと、高所得者は食事をバランスよく取り、自分の健康や医療にお金をかけるなど、健康意識が高い。対して低所得者は生活がギリギリのため、食事はおざなりで、体調がちょっと悪くなったくらいでは病院にも行かない(保険料を滞納して受診できないケースもある)。高所得者と低所得者、どちらの健康リスクが高いかは一目瞭然である。
はっきり西高東低な東京23区の寿命
東京は地方と比べて所得水準が高い。だがそれはあくまでも平均としてならされたもので、実際には大きな格差が存在している。特に超高所得者も多い23区内の所得格差は、地方とは比べものにならないぐらい大きい。
23区の平均年収ランキング(2013年)でトップは港区の902万円。最下位は足立区の324万円で、その差は実に600万円近くにもなる。港区以下の上位には、千代田区(784万円)、渋谷区(703万円)など、主に中央~南西部にかけての「山の手エリア」の区がランクインしている。対する下位は葛飾区(333万円)、北区(344万円)など、主に北東部の「下町エリア」の区で占められている。このように23区では高所得者が西に住み、低所得者が東に住むという「西高東低」の構図がある程度できあがっている。そしてその構図は、そのまま寿命や健康にも当てはまってしまうのだ。
23区の平均寿命(2010年)は男性が79.5歳、女性が86.3歳と全国平均レベルだが、東京都全体の平均寿命(男性79.9歳、女性86.4歳)には惜しくも届かない。足を引っ張っているのは、足立区、荒川区、台東区、葛飾区、江戸川区、墨田区、江東区といった下町区。平均寿命が男女ともに23区トップである山の手の杉並区と比べて、男性最下位の荒川区とで4.1歳、女性最下位の足立区とで2.8歳もの開きがある。こちらも明らかに西高東低で、山の手と下町の所得格差がそのまま平均寿命の差になっているといっても過言ではない。
また、最近では寿命についての新しい概念として「健康寿命」という考え方が注目されている。健康寿命とは「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」。要は介護を受けたり、寝たきりになったりせず、元気に自立して生活を送れる期間のことだ。たとえ長生きできても、晩年ずっと寝たきりという生活を我々は望んでおらず、その点で健康寿命には「実質的な寿命」という意味合いもある。
この健康寿命でも23区の傾向は基本的に西高東低。男女ともにトップは山の手区の文京区で、最下位は男性が台東区で女性が足立区と、やはり下町区が下位に沈んでいる。
こうした差が出てしまう要因はいろいろあるが、大きいのはやはり「食生活」だ。下町区には非正規労働者(契約社員・派遣労働者・パートタイマー)や町工場で働く職人などが多いが、彼らは日々、仕事と生活に追われ、食事はインスタント食品やファストフード、出来合いの弁当などに頼ることも多く、どうしてもおざなりになる。
しかも不安定な雇用状況と低収入によるストレスから飲酒と喫煙をやめられない人も多く、彼らは生活習慣病予備軍として、やがて糖尿病などを発症していく。病気になれば医療費がかかることになり、それがまた生活を圧迫する。そのため病院に行かないケースも多く、放っておくうちに重病化して仕事ができなくなるという悪循環に陥る。こうした負のスパイラルは下町区により多く見られるものだ。
さらに、貧困を背景とした食生活の乱れは、子供がいれば、その健康にも悪影響を与えかねない。最近、子供の糖尿病が増加している。子供がかかる糖尿病は2種類あるが、発症数が圧倒的に多いのは主に肥満を要因とする「2型糖尿病」だ。子供の肥満は裕福な家庭よりも貧困家庭に多く、貧困が原因の偏った食習慣や食の配慮不足が子供を太らせていく。貧困は子供の健康を害し、その将来をむしばむ危険も秘めている。
最強セレブ区が持っている裏の顔
一方、高所得者が多い山の手区には、健康を意識した食事を常日頃から心掛けている住民が多い。また、人は暮らしている環境に合わせたライフスタイルをとる傾向があるから、健康意識の高い人が多い地域は、地域ぐるみで健康に気を使うようにもなる。貧困地域の負のスパイラルとは正反対の好循環である。
ただ、当たり前の話だが高所得者が多い区だからといって、健康な住民ばかりいるわけではない。たとえば23区随一のセレブ区である港区を例にとってみよう。
港区には超が付く高所得者の影に隠れるかのように低所得者も暮らしている。実際、古くからの港区民には資産家など富裕層もいるにはいるが、年収500万円未満で中流層にさえ届かない人も大勢いるのだ。
ブルジョワなイメージの港区だけに、こうした格差の実態はけっこうインパクトが強い。だが、さらに衝撃的な事実は、大きな格差が存在するとはいえ、23区で最も区民中の高所得者(年収1000万円以上)割合が高いにもかかわらず、健康寿命が短いことである。
港区の健康寿命は、男性こそ80.8歳で23区中10位だが、女性は81.97歳で22位。女性の健康寿命の20位以下には墨田区、台東区、足立区と、下町区がズラリと並ぶ中、港区の存在はひと際目立っている。でもなぜこんなにも港区の女性は健康寿命が短いのか?
そこには、港区ならではの都会的なドライさ、ヒエラルキー社会という背景があると推測される。
港区の高齢化率は高くないが、それでも65歳以上の高齢者が約4万3000人(2017年3月時点)も暮らしている。このうち単身高齢者世帯の割合は不明である。ただ2010年の国勢調査によれば、港区の単身高齢者世帯は約1万世帯だった。当時の高齢者の数が約3万6000人だから、単身高齢者世帯の割合は約28%として、現在の高齢者人口に強引に当てはめてみると約1万2000世帯となる。つまり、約1万2000人の独居老人がいると推定される。
彼らの多くは貧しいため、富裕層の多い地域コミューンの中に入り込めていない可能性がある。実際、区の調査(2012年)では、緊急時に支援者がいない独居老人は全体の17%に上り、特に低所得者にその割合が高かったという。
港区ではそんな独居老人を含め、高齢者に生きがいを持たせるため、交流事業やシルバー人材事業を行っている。特に高齢者の就業率を高めるシルバー人材事業では、無料職業紹介所の「みなと*しごと55」など、地元企業で高齢者でも応募可能な求人を集めて提供し、実績を挙げている。しかし、シニアの再就職はどうしても男性中心になりやすい。そうなると高齢の単身女性は、生活を成り立たせるための収入の確保が難しくなる。そうして彼女らは地域との交流を絶ち、孤立した貧しい暮らしの中で健康を害していると考えられるのだ。
都会は女性の未婚率も高く、高齢の独身女性世帯は今後さらに増えると予測されている。将来的な年金制度や介護への懸念もあり、こうした単身高齢女性の貧困による健康問題は、港区にとどまらず、23区全体でもますます深刻化していく可能性がある。
世の中から健康や命の不平等を生む貧困はどうしたってなくならない。ただ、貧困によって後ろ向きになっている人たちに「貧しくても楽しい生活ができる」と思わせることはできるはずである。弱者が弱者と思わなくてもよい社会をつくりあげることが、健康格差の是正に有効な「処方箋」だろう。
(文/岡島慎二)
<プロフィール>
岡島慎二(おかじま・しんじ)◎1968年茨城県生まれ。フリー編集者・ライター。主な著書に『地域批評シリーズ』(マイクロマガジン社)など。地方自治、まちづくりなど地域問題を筆頭に、日本が抱える社会問題に舌鋒鋭く持論を展開する。近刊に『東京23区健康格差』、『東北のしきたり』(ともにマイクロマガジン社)。