『令和元年版高齢社会白書』(内閣府)によると、高齢者(65歳以上)のいる世帯数は、全世帯数の約47%で、そのうち、単独世帯と夫婦のみの世帯は半数を超える。
社会人となった子どもが仕事などで地方を離れ、都市部で生活するようになり、やがて親の介護の必要性が生じ、遠距離介護をよぎなくされるパターンが増加。今年になって、新型コロナウイルスの感染拡大が重なり、さらに困難な状況が生み出されている。
コロナ禍にもかかわらず、地方に住む母親の遠距離介護をスタートせざるをえなくなった筆者が、介護崩壊とも思える現状に直面している。
東京―三島間の遠距離介護がスタート
「申し訳ないのですが、昨日決めた、お母様のデイサービスの利用とショートステイのお試し利用は、できなくなりました……」
7月2日、静岡県にある実家のインターホンが鳴り玄関を開けると、母の担当のケアマネジャーHさんが立っており、開口一番、こう告げられた。
前日に母の介護認定が「要介護2」に決定し、Hさんに相談し、デイサービスとショートステイの利用日を決めたばかりだった。
この日、NHKのニュースで、収束に向っているかのように見えていた東京の1日あたりの感染者数が2か月ぶりに100人を超えたと大きく報道されていたため、朝から一抹の不安は感じていた。
「介護に通っている私が東京の人間だからですか……」
すると、いつもははっきりとした口調のHさんが「ええ……。私も組織に属しているので上の決定には従わないと……」と本当に申し訳なさそうな表情で歯切れが悪い。
つまり、介護サービスを受ける人のもとに、感染者の多い東京から介護に通う家族がいる場合、デイサービスやショートステイの利用を希望しても、施設にコロナウイルスを持ち込む恐れがあるため受け入れられないということなのだ。
84歳の母は、6年程前に重症の骨粗鬆症(こつそしょうしょう)を患って以来、QOL(生活の質)はかなり低下していたが、父のサポートのもと、夫婦二人で日常生活を送っていた。
しかし今年に入り突然父が入院し、数か月後に亡くなったため、母は想定外のひとり暮らしをスタートするはめになった。まもなく自宅で転び、病院に連れて行くと、背骨部分の複数の箇所を骨折していた。そのため、背骨と腰、足に痛みが発生し、家の中でも手押し車がなければ歩行が難しくなってしまった。入浴もひとりではできない。食事の支度もできない。これでは母がひとりで暮らすのは難しい。母の世話をするために、私の遠距離介護がスタートした。
実家は、県東部に位置し、伊豆の玄関口である三島市に隣接した函南町(かんなみちょう)にある。東京駅から新幹線こだまに乗り、約50分で三島駅に到着する。介護のため月に何回も東京―三島間の新幹線を利用するようになったが、コロナ禍で上りも下りも、過去に経験したことがないほど空いていた。三島駅からは私鉄に乗り換え、その後最寄りの駅からはタクシーを利用する。同町は運行しているバスの本数が非常に少ないため、ほとんどの家庭で通勤も買い物も自家用車を活用している。
サービスを利用できる方法はあるが、現実的ではない
母の介護は食事の支度、入浴・トイレの介助、買い物、洗濯、掃除、病院の付き添いなどだが、何より気を遣うのは食事の用意だった。食材の柔らかさや、味付けに気を配り調理するが、食欲のない母は、不満ばかりで幼児並みの量しか食べてくれない。また、買い物や母を病院に連れて行くなどの外出が大変だった。実家には父の車があるが、私は免許を持っていないため、タクシーを利用することが多くなった。次第に私のストレスがたまってきたため、使える介護サービスを活用することでストレスを軽減しようと考え、介護認定の見直しを申請したところだった。
現状で母がデイサービスやショートステイ、訪問介護のヘルパーサービスを利用する方法がひとつあった。それは、私が実家に来ることをやめ、その後2週間、母の体調に変化がなければ、介護サービスを利用できるというもの。母が2週間ひとりでいられるくらいなら、わざわざコロナ禍に東京から通っているわけがない。介護サービスが利用できない要介護認定に本当にがっかりした。
この周辺地域に私のように東京から介護に通っている人たちもいるはず、どうしているのか。
三島市は、首都圏からのアクセスの良さと豊かな自然を間近に見られることが特長の町である。近年は全長400メートルの日本一の吊り橋ができ観光客も増加し、移住者も増えている。これは三島駅を利用している近隣の市町でも同じである。2015年には東京からの移住者は、三島市は約900人、函南町では約200人となっている。三島市在住で東京圏へ通勤している人も多く、2400人を超える(2015年国勢調査)。
三島市や函南町には、東京まで毎日通勤するビジネスマンのほか、観光バスやトラックの運転手で頻繁に東京に行く人もいる。その家族の中に介護が必要な人もいれば、成人して東京圏にいる子どもが親の介護に通ってきている家庭もある。
東京勤務の家族がいるとサービスを使えないことも
ある家庭は、父親が毎日東京まで通勤していた。介護が必要な高齢者も同居しており、自宅で介護サービスを利用しながら家族が世話をし、将来的には老人ホームなどの施設に入居させることを考えていた。しかしコロナが感染拡大してからは、東京へ通勤する父親がいたため、利用していたさまざまなサービスが使えなくなってしまった。困った家族は、急いで施設を探して入居させることになったが、家庭内に東京勤務の人間がいると、すぐには入居させられないと言われたため、結局、父親は2週間、自宅以外の場所に宿泊しなければならなかったという。
Hさんは周辺施設の対応について「行政、自治体からははっきりした指示がありません。この町だけでなく、他の地域でも同じです。初めはどこの施設も、他の施設の動向を伺いながら対応していました」と明かす。
母は、当初、予定していた施設でのデイサービスやショートステイなどのサービスは受けられなかったが、その後、医療法人が母体の施設で週2回デイサービスを利用できることになった。ここでは家族が東京から来ていても受け入れてくれた。
同施設の所長は「行政に対応を問い合わせても明確な返事はありません。医療法人なので病院と介護事業所で話し合い、対応を決めますが、意見が分かれる場合は介護事業所で決めます。ただ、今後は状況によっては、受け入れを中断せざるをえなくなるかもしれません」と語る。
同施設に、ひとり暮らしの高齢者で、平日のみデイサービスを利用し、週末の土日には、横浜と東京に在住している2人の息子が交替で介護にきていた人がいたという。緊急事態宣言が発令されたので2人の息子の訪問を中止にしてもらい、月曜日から土曜日まではデイサービスを利用し、日曜日はヘルパーが自宅に訪れ、1日3回、食事、入浴、排泄などの世話を行った。サービス内容は充実していたが、介護サービスの利用限度額を超えたため、自己負担した費用がかなりあったそうだ。金銭的に余裕があった利用者だったので可能だったという。
行政の明確な指針がなく、現場任せの現状
介護保険料は40歳から一生、払い続けるものだ。84歳になる母も年金生活で介護サービスを受ける身でありながら、介護保険料も支払っている。長期間払い続けている介護保険料だが、利用する側になったときには満足に使えない状況になっている──コロナという不測の事態が起こっているとはいえ、あまりに理不尽ではないだろうか。
また、行政の明確な指針がなく現場任せにしているとは、どれほどの重圧を介護現場のスタッフに与え、彼らの頑張りに頼っているのか。
母は、現在も相変わらず、デイサービス以外のショートステイやヘルパーなどのサービスが利用できない。会社勤めではなく、比較的時間が自由になるフリーランスの私が面倒を見るしかなく、東京の家族に我慢を強いて、実家で母の世話をする日々が続いている。
将来、コロナが収束しても、また予期せぬ事態が起これば同じ状況に陥り、弱者にしわ寄せがくるだろう。今後ますます高齢化が進む日本において、自分には関係ないでは済まされない。
宇山公子(うやま・きみこ)
フリーライター。OL、主婦、全国紙記者を経て、現在はフリーランスで活動。主に、健康、医療、食分野での執筆を行っている