カツラでピアノを弾きながらバリトンボイスを響かせて(音楽アカデミーHPより)

「テレビニュースで薄毛の容疑者が送検されるシーンを見て、別人じゃないかと思いましたよ。ふだんは黒髪がふさふさで、全体的にもっと若々しい感じでしたから」

 と容疑者を知る女性は話す。

 東京都小金井市の路上で小学生女児にツバをかけたとして、暴行の疑いで警視庁に逮捕されたのは市内に住む幼稚園理事長・小池豊容疑者(78)。

容疑者は市民顕彰を受けた幼稚園理事長

 自転車を運転しながら犯行におよび、

「子どもが道に広がって歩いていたので邪魔だった。注意するつもりだった」

 などと容疑を認めている。

 11月2日午後2時45分ごろ、自宅近くの道路を友達と下校中の女児に後ろから自転車で近づき、追い抜きざまにツバを吐いた疑い。ツバは女児の頭にかかった。女児はきちんと道路の端を歩いていたという。

犯行現場周辺は人目につきにくく

 教育者にあるまじきこの男、同様の犯行を周辺で繰り返していた疑いがある。

「今年9月以降、小金井市と府中市で登下校中などの小中学生に対する類似被害が少なくとも6件発生しており、付近を警戒していた警察官が犯行を目撃し現行犯逮捕にこぎつけた。容疑者は“ほかにも何件かやった”などと供述しており、警察は関与を調べている」(全国紙社会部記者)

 どのようにして屈折した高齢者になったのか。

 理事長を務める府中市の私立幼稚園を訪ねると、職員は「園児にも私たち職員にも乱暴な振る舞いはいっさいなかった。逮捕には心底驚いている」と困惑ぎみ。

 地域では評判のいい幼稚園だった。

「読み書きや算数を教えるなど英才教育に秀でており、音楽指導にも力を入れている。毎年夏に地元の『納涼祭』で園児が歌などを披露してくれる。今年は新型コロナウイルスの影響で中止になったが、昨年は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を上手に朗読していた」

 と幼稚園近くに住む男性。

 容疑者は、長年にわたる理事長としての功績などが認められ、2011年に府中市から教育功労分野で市民顕彰を受けた人物だった。

 園長によると、保護者の信頼を損ねたとして6日付で理事長職を解任された。

「理事長が直接、園児と触れ合う機会はありませんでしたので、園児に被害はありません。そもそも絶対にそんなことをするような人ではないんですよ。うちの園児に限らず、過去に子どもを怒鳴りつけたり、手をあげたことなど見たことがありませんから。ひたすらご自分の芸術を追い求めてきた穏やかな人です」(園長)

東京藝術大学の音楽学部声楽科卒

 その芸術とは声楽とピアノ。重低音のバスやバリトンのパートでオペラなどを歌い上げ、声楽のピアノ伴奏もこなす。音楽指導にも熱心で、自宅に併設した音楽アカデミー(教室)の院長を兼務している。

 同アカデミーは全国で唯一の音楽大学受験予備校として1964年に設立された。音楽高校・中学を含めた受験コースと個人レッスンコースがあり、生徒にはもちろん子どももいる。

 生徒が被害などを受けていないか、確認するため取材を申し込むと、

「取材にはお答えできない」

 とピシャリ。院長の逮捕劇に動揺している様子だった。

 小池容疑者は兵庫県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業し、同大学院を中退。複数のコンクールで入賞歴があり、20代後半のとき若手音楽家の登竜門といわれる「日本音楽コンクール」声楽部門で入選。音楽大学の声楽科で講師を務めたこともある。

 婿養子として小池家に入り、ひとり娘も音楽の道へ。現在は妻、妻の実母と3人で暮らしているという。

 近隣住民は語る。

「芸術家とあって独特の世界観をお持ちになっている。理事長を務める幼稚園まで自転車で通っており、いつも“トゥラァアア〜”などとオペラみたいな鼻歌を大声で歌いながら自転車をこいでいるんです。見事なバリトンボイスで、周囲の目はまったく気にしていない様子でした」

“ツバ吐きおじさん”として有名だった

 全身黒ずくめでシルクハットに似た黒い帽子をよくかぶっていた。会話をするときは「私はねぇ〜」などと女性っぽい言葉遣いだった。

 別の住民は「見た目は60代くらい」としてこう続ける。

「ただ、ウイッグをつけているのは知っていました。いかにも不自然でしたから。体力があり余っているようで自転車で遠くに出かけることもあり、あの大声量で歌うので若く見えたんですね」

カツラをつけると年齢よりずっと若く見えたという(幼稚園HPより)

 犯行を重ねるうえで“若づくり”は隠れ蓑になった。

 被害報告があった9月以降、周辺の小学校や幼稚園は「自転車でツバをかけてくる不審な中年男がいます」などと保護者に注意を呼びかけ、ひとりで下校しないよう指導。子どもたちは“ツバ吐きおじさん”と呼んで、少しおもしろがる雰囲気があったという。

 実際に警戒すべきは“ツバ吐きじいさん”だったというわけ。

 同様の被害に遭った小学校低学年の男子児童の母親が事件当日を振り返る。

「友達と下校中、向こうから自転車で近づいてきたおじさんにすれ違いざまに“ペッ”とツバをかけられたそうです。このへんではもう有名な不審人物でしたから、帰宅した息子は“あいつにやられた!”と少し興奮ぎみでした。ツバは肩とランドセルにかかり、しかも翌日も連続して被害に遭ったんです」

 男は全身黒ずくめで黒い帽子をかぶり、ツバを吐く直前にマスクを下げた。終始、無言だったという。

 母親が「騒ぎながら歩いていたんじゃないの?」と聞くと、男児は「騒いでなんかいないよ!」と反論。学校に相談し、警察に被害届を出した。

理事長を務めていた幼稚園

身内からは運転をやめるように言われていた

 捕まえてみれば高齢者だった。それにしても、この年で自転車に乗りながら悪さをするとは……。

「自転車で転んだら危ないので身内からは運転をやめるように言われていたそうだが、聞く耳を持たなかったらしい。“作曲するのに自転車はすごく適している”というのが持論で自転車が大好きだから。

 ただ、今年2月以降、コロナ感染防止のため幼稚園への出勤は取りやめており、最近は見かけなかった。精神的な衰えはあったけれども、認知症ではないと聞いている」

 と事情を知る関係者。

 近所の住民から「いつも頭の中で音楽が流れているようだった」と形容されるほど音楽に没頭していた容疑者。コロナで鼻歌は歌いづらくなっただろうが、ツバをかけるとき、どんなオペラが頭の中で鳴り響いていたのか──。

◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)