かつては「痴呆症」と呼ばれていた認知症。近年、発症のメカニズムや新薬の承認が話題に上っているが、いまだ特効薬はない。本人や家族は今も、さまざまな悩みに直面しているのが現状だ。
長年、認知症の予防やケアに携わってきた理学療法士の川畑智さんは、何よりも認知症の人の目には世界がどのように見えているかを、まわりが理解しようとしないことが問題だという。
「私はこれまで多くの認知症の方に接しながら、認知症の方はどんな気持ちでいるか、なんとか理解したいと考えてきました。そのなかで、認知症の方の目線に立てば、一見理解しがたい言動にも、その方なりの立派な理由があることがわかってきたのです」(川畑さん、以下同)
認知症の人の世界を、わかりやすいマンガに
このような実体験をもとに、川畑さんが認知症の人の気持ちをわかりやすく紹介した著書が、『マンガでわかる! 認知症の人が見ている世界』だ。
この著書で川畑さんが強調するのは、本人は自身の症状に大きな不安を感じていること、そしてまわりの人が、その不安に寄り添うことの大切さだ。
「本人の“不安”がまわりに受け入れられないと、“不満”が生じ、不満が続くと“不信”に変わります。さらに不信感がぬぐえないと、暴言や暴力など“不穏”な行動につながってしまうのです」
■認知症の症状は4つの段階を経て悪化していく!
(1)不安
「記憶が苦手になる」「何かがおかしい」
(2)不満
周囲の人に不安を理解してもらえない
(3)不信
周囲の人が信じられない
(4)不穏
介護への抵抗や暴言・暴力
小銭で膨れた財布は、認知症のサインかも?
例えば、マンガで挙げた買い物の例のように、レジの支払いに時間がかかっていたら、認知症のために、金額やおつりの計算がわからなくなっている可能性が。なんとかお札で払って、すませていることも多いという。
「もし家族の財布が小銭でパンパンになっていたら、お札で払い続けているせいかもしれない。数字が把握できなくなる失計算の症状は、認知症初期から見られることが多いので、パンパンの財布は、認知症に気づくサインのひとつなんです」
このようなときも、本人は不安を感じているはず。気づいても、計算力を試したり、買い物をやめさせたりせず、本人の自尊心を尊重することが大事だという。
本人も家族もラクになる!
「気持ちに寄り添う認知症介護」実例集
認知症の人の世界とは? よりよい接し方とは? 川畑さんの著書から具体的な実例を紹介します。
[極意1]不安な気持ちを想像してみる
■本人にとってはいつも初めての質問
認知症の代表的な初期症状のひとつが「短期記憶」が低下すること。
年をとれば、もの忘れが多くなるものだが、認知症の場合は、ほんの数分前のことが記憶から抜け落ちてしまうのだ。
「何度も同じ質問をされると、答えるほうは、どうしてもイライラしてきますよね。でも、本人にとっては毎回初めての質問。もの忘れで失敗が増えたという不安もありますから、なおさら、“確認しなくちゃ”と焦り、余計に何度も聞いてしまうのです」
このように不安な気持ちでいるときに、責められたり無視されたりしたら? 本人の気持ちになれば、不満や不信を感じるのは当然だとわかってくるだろう。
■不安を安心に変えるコミュニケーションを!
川畑さんは、このような認知症の人の不安が安心に変わるように接すれば、認知症の悪化予防につながるという。
認知症の症状は、「中核症状」と「行動・心理症状」に大きく分けられる。中核症状は、記憶障害や、料理や機器の操作ができなくなる実行機能障害など、脳の働きが障害されて起こるもの。一方、行動・心理症状は、中核症状のために精神状態や行動に悪影響が及んで起こる二次的な症状だ。
「本人が安心できるコミュニケーションを心がければ、暴言や暴力、介護への抵抗などの行動・心理症状を予防、改善できることがわかってきています。認知症の人が見ている世界を想像できれば、自然に優しい言葉が出るようになるはずです」
<対応のポイント>
●同じことを何度も聞かれたときは、言い回しを変えると、記憶として定着することがある。
●本人の「覚えていたい」という気持ちを尊重し、初めて伝えるように説明しよう。
●「私が覚えておくから大丈夫」と言うと、安心してもらえることがある。
[極意2]不可解な行動でもその理由を考えてみる
■行動の謎を解くヒントはその人の人生にある
「家にいるのに家に帰ると言う」「退職した会社に行こうとする」といった行動も、周囲をとまどわせる。引き留めると強く反発されることも多い。でも川畑さんは、その人の以前の仕事や生活ぶりをヒントに、本人が見ている世界を想像してみると、接し方がわかってくることがあるという。マンガから抜粋した元校長先生だった男性の話も、川畑さんが実際に体験したエピソード。
また、夜間に施設内を歩き回っていた女性が、元看護師だったと知った川畑さんは、これは夜勤の見回りをしているのではないかと予想。「巡回はやっておきましたよ」と声をかけたところ、夜のひとり歩きがおさまったという。
「やめるように説得したりせず、何をしたいのですか、などと話をすれば、その人が、どの時間、どの場所にいるかが見えてくる。その世界にこちらも入っていけば、本人もわかってもらえたと感じ、気持ちが安定するのです」
[極意3]安心してもらえる「話し方」を心がける
■認知症の世界での話し方を認知する!
認知症の人は、まわりの会話のテンポについていけず、疎外感を感じていることも多い。わかったふりをするのも、自尊心からだったり、遠慮していることもあるという。
「そんなときに、“言ったでしょ!”と責めても、本人は傷つくだけ。でも、話し方を変えるだけで、表情がやわらいでくるんです」
話し方の第1のコツは、まず「私はこれから、あなたに話をしますよ」と自分を認識してもらうこと。そのためには、手をふって注意を引いてから、声をかけるとよい。
■話し方が変われば社会も変わっていく
「第2には、ゆっくりと、一語一語ていねいに話すことです。認知症の人の時間はゆったりと流れています。そのことを周囲が“認知”できていないなら、周囲の人の認知に問題があると思うんですよ」
この話し方は、認知症に限らず、街で困っている高齢者に接する際にも役立ちそうだ。
「より多くの人が認知症の人の気持ちを考えて行動するようになれば、さまざまな困りごとを抱えている人にも、もっと優しい社会に変わっていくのではないでしょうか」
厚生労働省の推計によると、2025年には、65歳以上の5人に1人が認知症になるという。認知症の人とともに、人に優しい社会をめざすことは、将来の自分のためなのかもしれない。
理学療法士、(株)Re学代表。病院や施設における認知症の予防やケアに取り組む。自治体の認知症予防プログラムの開発のほか、精力的に講演も行う。著書『マンガでわかる! 認知症の人が見ている世界』(文響社)が好評発売中。
(取材・文/志賀桂子)