「年寄りになったら受け身になりがち。なんでも用意してもらって、準備してもらって当たり前と思ってしまう。いったい誰の人生ですか、と聞きたいです」
100歳から新聞連載を開始し、大きな話題に
自分と同じ高齢者には、ときどき辛口になってしまうという石井哲代さん。102歳の今も、「さて何をしようか」「何を食べようか」と自分で考え、決めて行動している。
自身と同じく小学校教師だった夫・良英さんと26歳で結婚するが、子どもはいない。83歳で夫を見送ったあと、ひとりで自宅と畑を守っている。
そんな哲代さんに転機が訪れたのは百寿を迎えたとき。地元の中国新聞で、哲代さん自身の暮らしぶりを紹介する連載記事が始まったのだ。
記事は担当記者が驚くほど反響が大きく、「これから先の人生を果敢に楽しみたいと思えるようになりました」という読者からの感想が数多く寄せられたほど。
講演会の依頼も入り、新聞連載が書籍化されたこともあって100歳を超え、多忙な日々が始まった。
自分でできないことは姪や近所の人の手を借り、介護サービスも活用しながら、現在も自らの意思でひとり暮らしを続けている。
「同じ生きるんなら、一生懸命楽しまんと損です」が口癖。その裏には若いときからの“心がけ”があるという。
元・小学校教師、身体も頭も使い続ける毎日
哲代さんの寝室の枕元には亡き夫の写真が鎮座する。毎晩、寝る前に「おやすみなさい」と声をかけるためだ。
「若いころは子どもを授からなかったことに、私もえっと(たくさん)悩んだり、落ち込んだりしてきました。陰口を言われたくないという思いが強かったから、ちいと尖っとりました。負けん気っていうんかな(笑)。勤め先の学校からも一目散に帰って、すぐ畑に出るんです」
子だくさんが当たり前の時代。農村の旧家では、肩身が狭い思いもしただろう。
「教員の仕事という“自分の生きる場所”があったから、家でも頑張れたんかもしれません。それでも肩肘張って、切ない思いをして行き着いたのが今の私。『丸ごと好きよ』と認めてあげたいです」
気張らず飾らず、あるがままを受け入れた哲代さんだが、夫亡き今、先祖代々の家と畑の後継者はいない。できる限り石井家を守ることが、哲代さんにとっての「人生の宿題」となっている。
「102歳のひとり暮らしは、はたから見たら、冒険のように映るかもしれん。私も本当に独りぼっちだったら落ち込んでしまうと思う。じゃけど、みんなが支えてくれるから安心しとれるんです」
とはいえ、先々のことを考えると時に心細さも見え隠れする。それでも「私はこの家の主ですけえ」と自分にハッパをかけ続ける。
「“心はお月さんのようなもん”です。私のは三日月のようにちいと欠けとる。弱いところを見せて、いろんな人に助けてもろうて、満月にしていこうと思います。これからはひとりで背負ってきた重い荷物を、ひとつずつ下ろしていけたらええなあと」
生きていればさまざまな悩みに直面するが、嘆くことにエネルギーを使えば、心も身体も弱ってしまう。
そんなときは自ら用事をつくって身体を動かす。また、ストレスを感じたら、日記に書いて発散させているそう。
「悩み事は日記にちょびっと書いたら、心がすーっとする。自分で納得するんですね。しんどい思いを引きずるのも打ち切るのも、自分自身です。自分の心は自分で育てるしかない。いくつになっても切磋琢磨ですなぁ」
「ひとりでも毎日を楽しんでおります」
地域の人を大切にしてきた哲代さんは人気者。坂の上にある哲代さん宅には、近所の人が入れ代わり立ち代わり訪ねてくる。台所の土間に椅子を並べて、おしゃべりに興じる毎日だ。
このようなバイタリティーあふれる行動を支えるのは、旺盛な食欲だ。毎日、畑で育てた野菜を使い、食事の支度をする。朝食の定番は、いりこ入りのみそ汁だ。
「食べ物の好き嫌いはありません。それも、ようけ食べます。ご飯の量はいつも2杯」
ご近所さんからのおかずのおすそ分けも、楽しみのひとつになっている。
長い距離を歩くのがつらくなり、89歳のときにハンドル付き電動車いす(シニアカー)を購入。坂を下った先にある、ご近所さん宅を訪れるのに大活躍している。新しい家電も使いこなす哲代さんの挑戦が、今も元気に活動する秘訣かもしれない。
年をとれば「できないことが増えるけど、そこは嘆いてもしょうがない」というのが、哲代さんのスタンス。“できなくなったこと”を追わず、変化を受け止めている。
例えば、以前は冬の掛け布団を毎朝、自分で押し入れにしまっていたが、昨年ごろから持ち運ぶのが難しくなった。
「年相応に身体はガタついております。布団は畳むだけにしました。このやり方もええですな。無理してケガしちゃいけんからなぁ(笑)。でもね、毎日のみそ汁は作れます。みそ汁の支度ができて、ええねえと、しみじみ思いよるん。自分でこしらえると、感動的においしいの」
老いの変化を柔軟に受け入れて、くよくよしない。できることを愛おしむ姿は、丸くかわいらしい。
「降参するのが早くなった。生きてるだけで上等、上等」
80歳を過ぎたころから、考えても仕方のないものがあることを理解して、物事を受け流すのがうまくなったと語る。
「降参するのが早くなったんでございます。悪口を言われても、この人は気の毒な人じゃなと思うし、自慢話ばかりする人も容認してあげるん。『うらやましい』の心にふたをして、人を褒めるんです。人は人、自分は自分。元気で生きとるだけで上等と思えるようになりました」
哲代さんは、煩悩やねたみなど、心がしんどくなることは早めに手放す。反対に、うれしいことや楽しいことを存分に味わうようにしている。
「生きとる間は楽しまんと損。『ああ、おなかすいた』とか、『ああ、ご飯がおいしい』とか、ひとつひとつ、大げさに声に出してその瞬間を喜びます」
老いを自然体で受け入れながら、それでも前に進もうとする姿は、“完璧なおばあちゃん”ではなく、私たちの等身大のお手本だといえる。
担当記者が語る!「哲代さんのすごさ」
哲代さんの取材を続ける、中国新聞の木ノ元陽子さん、鈴中直美さんにいつもの様子を聞いてみた。
哲代さんは頭の回転が速く、質問に対して想像を超えるような答えが返ってきます。好奇心が旺盛で観察力も鋭い。例えば、私たちが重い荷物を持っていると、すかさず「それ、下ろしなさい」と言い、荷物をつかみます。誰に対しても、こまやかな気配りができる方です。
また、いつ訪ねても「入りんさい、入りんさい」と大歓迎。ただ、自分をよく見せようとしないので、家の中が散らかっていても気にする様子はありません(笑)。小さなことにとらわれないのは、百寿者ゆえのおおらかさなのではと思っています。
その一方で「1日でも長く家を守り、自分の役割を果たしたい」という気迫に満ちた覚悟も伝わってきます。周囲は、そんな哲代さんの意思を尊重し、姪御さんとご近所が連携して“チーム哲代”として、手伝いすぎないように絶妙な距離感でサポートしています。私たちも哲代さんの生き方を応援していきたいと考えています。
石井哲代さん
1920年広島県生まれ、尾道市在住。元・小学校教師。56歳で退職後は畑仕事を行う。2003年に夫を亡くしてからはひとり暮らしを続ける。100歳を超えても元気な姿が中国新聞やテレビなどで紹介されて話題に。共著に『102歳、一人暮らし。』(文藝春秋)。
<取材・文/松澤ゆかり>