「皆さん、年をとると『認知症になりたくない』とおっしゃいますよね。でも、長年、老年医療に携わった精神科医の私からすると、幸せな老後を過ごすために絶対避けたいのは『老人性うつ』なんです」
着替えない、入浴しないは初期症状の可能性
そう話すのは、高齢者の脳の老化にも詳しい精神科医の和田秀樹先生だ。
老人性うつとは65歳以上の高齢者がかかるうつの通称で、うつ病のひとつに分類される。アメリカでは65歳以上の1割に、何らかのうつ病性障害があるという研究も。厚生労働省の調査でも、女性のうつ病患者数のピークは30代だけでなく70代にもある。
「このうつ病が怖いのは人によって症状がさまざまで、しかも本人が自覚しにくいところ。最悪は死にいたる病のため、一般的にいわれる“うつは心の風邪”なんかではなく“心のがん”だと思っています」(和田先生、以下同)
注意したいのは、認知症と老人性うつの初期症状がよく似ていることだ。物忘れや注意力、集中力がなくなるなど、同じような認知機能の低下がみられる。
家族が認知症だと思って認知症外来へ連れていき、そこで老人性うつが判明せずに悪化してしまうケースもある。認知症外来を受診する患者の5人に1人は老人性うつといわれている。
「老人性うつに詳しい精神科医でないと見過ごしてしまうことも少なくありません。家族や身近な人が『ちょっと変だな』と思ったとき、うつの可能性も頭の隅に置いておいてほしいですね」
認知症はゆっくり進行するが、老人性うつはさまざまな症状が短期間に出てくる。
「着替えなくなった、お風呂に入らないなど、いつもと違うことが一度に出てきます」
また、物忘れに対する自覚症状も異なる。
「認知症の場合は“忘れたことを忘れる”。例えば『朝食に何を食べたっけ?』ではなく食べたこと自体を覚えてないんです。老人性うつの場合は物忘れの自覚があり、『認知症ではないか』と不安に陥ったりします」
「年だから」で見逃されることも早めの投薬治療で“最悪”を防止
「うつは『心が弱い』から患うのではなく、脳の病気です。身体的、精神的なストレスを受けることで、脳の神経細胞が傷つき、神経伝達物質の分泌量が減ることが原因とされています。
もともとセロトニンの分泌が少ないところに、精神的ストレスが加わったため発病するということも考えられます」
いずれにせよ主な原因は、神経伝達物質のセロトニンの分泌量の低下だ。セロトニンは、加齢により分泌量が低下する。さらに、高齢になるとストレスを感じやすくなり、うつ病に進みやすくなる。
「老人性うつでは精神的ストレスが引き金になることが多いようです。配偶者や近親者の死、自分や家族が病気にかかったなど悲しい出来事のほか、娘や息子の結婚、独立などおめでたい出来事もうつの誘因になります。これは高齢者が、精神的に環境の変化に対して弱いからです」
定年を機にうつを発症することも多く、これも環境の変化が起因する。病気になったり、後遺症が出るなど身体的なストレスも影響する。
「脳梗塞など脳血管障害を患った人は老人性うつにかかりやすいことがわかっています。糖尿病患者もうつになりやすいので注意してください」
また、一般的なうつは朝がつらいが、老人性うつでは夕方から調子が悪くなるという。
「高齢になると誰でも脳のパフォーマンスが衰え、夕方になると脳が疲れてきます。そのため、夕方に症状が出やすいと考えられています」
さらに遺伝的な要因が少ないことも、老人性うつが見つかりにくい一因になっている。
「一般的なうつ病は遺伝的素因があり、再発を繰り返します。しかし、老人性うつに遺伝要因はほとんどなく、周囲もうつ病と結びつけにくいのかもしれません」
身体の痛みを訴えるのは老人性うつのサインかも!?
「若い場合は見るからに元気がなくなり、本人も周囲もうつ病を疑います。しかし、高齢者の場合は周囲も“年齢なりの変化”と捉えがちです」
本人も自覚しにくい老人性うつは、サインを見逃さないことが大切だ。
「わかりやすい初期症状は、食欲がない、表情が暗い、落ち着きがない、反応が遅い、イライラしている、口数が少ないなど一般的なうつ病と同じ。自覚症状は、やる気が出ない、不安な気持ちが続く、疲れがとれない、頭が重い、よく眠れないなどです」
老人性うつは、一般的なうつ病の症状に加え、特徴的な症状がある。
「頭痛や腰痛、脚の痛み、ひどい肩こり、耳鳴り、しびれといった身体的な不調を訴える人が多いのが特徴です。動悸(どうき)や息切れなど自律神経の症状が出ることも。いずれも病院で検査を行っても原因はわからないと診断されます」
これもセロトニン量が減少し、痛みなどが強く感じられるようになったためだ。
また、セロトニンの分泌が減ると不安や焦燥感が強くなる。そのうえ、高齢者は「迷惑をかけている」と思い込み、自責の念にかられやすい。これは自殺につながりやすいため、注意が必要だ。
「同じような話をするようになりますが、否定せずに話を聞いてあげてください。『一緒にいて楽しい』と思わせるようにしてあげるといいです」
寄り添う姿勢を見せ、少しでも不安と焦燥感を和らげることが大切だ。
「もし、『早くお迎えが来てほしい』『亡くなった夫(妻)のところに行きたい』など、高齢者特有の言い回しがあったときは、自殺を考えている可能性があります。
すぐに専門医の診断を受けてください。大変になったら地域の包括支援センターや介護施設などにも頼りましょう」
老人性うつのサイン
以前との変化を見逃さないことが大事。
□食欲がない
□頭痛や腰痛など身体の不調が強くなる
□記憶力が急に低下した
□睡眠中、途中で目が覚める
□入浴や着替えを急にしなくなる
□以前よりイライラしやすい
□飲酒量が増加した
「周りの人も『前と違うな』と思ったら、早めに診察をすすめてほしいです」(和田先生)
老人性うつは薬で治る、予防は楽観すること
「認知症は薬で進行を抑えることしかできませんが、うつ病は薬で治ります。老人性うつの原因はセロトニン不足が原因であるため、セロトニンの量を増やす薬で症状が好転しやすいんです。
早い人では、2週間くらいで簡単に治り、元気に暮らせるようになることもあります」
昔の抗うつ剤には副作用もあったが、最近、老人性うつの治療に使われている「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」は副作用が少ない。
「薬物治療で治る確率が高まり、現代のうつは『身体の病気』に近いといえますね」
この病気を予防するためには、日々の暮らしの中でセロトニンの分泌をスムーズにしてあげることだ。
「日光浴や適度な運動、セロトニンの原料を含む食品などでセロトニンは補うことができます。日に当たることで体内リズムが整い、不眠の解消も期待できるので、できることから始めていきましょう。
アルコールはセロトニンを枯渇させるので、うつ傾向の人は飲酒しないほうがいいです」
うつ予防のためにも50代のうちに、自分の気晴らしとなる趣味や仕事を用意しておくことが大切だと語る。
「定年退職する前に自分の居場所を準備しておくこと。また、何ごとも楽観的に考える思考と習慣があると、ウツウツ気分と無縁に生きられます。タレントの高田純次さんのような、『程よい適当さ』が、いちばんの予防法ですね」
老人性うつを予防する6つの習慣
1.セロトニンの原料を含む食品を積極的にとる
老人性うつは、神経伝達物質セロトニンの枯渇が大きな原因。この不足分は食事でカバーすることもできる。
セロトニンの原料「トリプトファン」を含むのは肉類、魚、大豆製品だが、とりわけ肉類を積極的に。コレステロールはセロトニンをうまく機能させ、うつを改善する働きがあるので過度の心配は無用。
2.朝起きたら日光に当たり睡眠の質をアップ!
日光はセロトニンの分泌を促進するだけでなく、睡眠と関係が深いメラトニンの分泌も促すので、睡眠の質が良くなるといわれている。そのため、うつに伴う不眠症状の改善も期待できる。
まずは毎朝、家中のカーテンを開けて日光を浴びるところから始めてみて。散歩もオススメだが、夏は早朝に屋外に出るだけでもOK。
3.会話をする機会を増やす
高齢者の場合、うつ予防のためには、定年後も仕事や習い事などで社会との接点を持つことが大事。できるだけ外に出て、人との会話を楽しみましょう。
人とのコミュニケーションは最高の脳トレにもなるので相手をよく観察し、会話中1、2回は相手を褒めるようにするとよい。会うのが難しいときは、長電話を楽しんで。
4.家庭菜園で日光を浴びる
「農業は脳業」といわれるくらい、頭を使う作業。自然相手の仕事だけに、想定外のことが起きるが、それが前頭葉を動かすことにつながる。
また、土をいじりながら日光を浴びることになり、脳内のセロトニンの分泌量が増加。草花の癒し効果にも期待ができる。
5.規則正しい食事で体内リズムを整える
体内時計の働きが、セロトニン分泌のためには重要。体内時計を規則正しく働かせるためには朝食を決まった時間に食べることが有効。高齢になると、炭水化物に偏りがちになるため、タンパク質や脂質、ビタミン、ミネラルをしっかりとる。
また、料理をすることも脳トレに。
6.絵を描く習慣で脳を活性化
絵を描くことは脳にとって、さまざまな好影響を与える。画家には長寿の人が多く、米寿を超えて作品を発表し続けた人が少なくない。
絵画はうつ病治療にも取り入れられ、集中して絵筆を動かすことには、ウツウツとした気分やストレスを吐き出す効果がある。
(取材・文・イラスト/ますみかん)