※写真はイメージです

「入職初日、利用者さんに挨拶したら、“あの、これ”と白い包みを渡されたんです。お茶菓子の残りをくれたのかな?と開けてみると……。中から出てきたのは、2つのウンチでした」

祖父の施設入居で喜びの舞を踊った母

 なかなか衝撃的な出来事を明るく話してくれたのは、認知症対応のグループホームで働く介護士、畑江ちか子さん。

 認知症高齢者の介護というと、介護疲れによる虐待や殺人など、悲しいニュースも多く、“超高齢社会の闇”といったイメージを持つ人も多いだろう。しかし紛れもなく誰もが直面しうる現実でもある。

 だからこそ畑江さんは、「少しでも多くの人に認知症や介護現場のことを知ってほしい」と、著書やSNSなどで、介護現場の日常を発信している。

「あの、これ……」イラスト/なかむらるみ

 そもそも畑江さんが介護の仕事に就いたきっかけは、認知症だった祖父をグループホームで看取ってもらったことだった。

「徘徊や暴力が増え、主に介護していた母は本当に疲弊していました。ある日、ささいなことがきっかけで祖父が母を文鎮で殴ろうとしたんですね。

 それで、本気で施設を探すことになったのですが、入居が決まったとき母が“ヤッター”と叫んで踊り狂ったんです。初めて見る姿でした……(笑)。今はその気持ちがすごくわかります」

 家で面倒を見られなくなった祖父に、施設は一生懸命尽くしてくれ、お別れの時には泣いてくれた。“本当にありがたい”という気持ちであふれた畑江さん。

 その後、施設に持っていくお礼の菓子折りを選んでいるときに、ある思いがよぎる。

「感謝の気持ちを、菓子折りだけで済ませていいのだろうかと。介護施設がなかったら、わが家はたぶん破綻していた。そういった家庭はいっぱいあると思います。

 なくてはならないインフラのようなものなのに、働き手がいなくて閉鎖せざるを得ない施設もある。そんな現状は知っていたので、本当に感謝しているんだったら、自分も介護職員になって協力しよう。そう思い転職を決めました」

 しかしその決意は、入職後まもなく、粉々に打ち砕かれることになる。

心身共にダメージ大!しんどすぎる日々

「正直言って、本当に後悔しました……。実際に介護の仕事をしてみて、きれい事だけでは通用しないと思い知らされましたね」

 きれい事だけじゃない現実。畑江さんの働くグループホームには18人の認知症高齢者が入居していた。

「なにせ全員が認知症ですから、例えば靴下をはいてくださいとお願いしても、はいてくれない。10秒前に言ったことを忘れて同じ話を延々ループして話す人もいれば、突然激怒して暴れ出す人もいます。ひっかかれて血が出るなんて、日常茶飯事です」

 褥瘡(じょくそう。いわゆる床ずれ)の処置をしようと、傷口に薬を塗った瞬間、強烈なビンタをされる。食事の介助中、口の中の食べ物を顔に吹きかけられる。汚物が壁に塗りたくられる。さらには、命の危機を感じたことも。

「夜の巡回で居室を確認すると、ある男性の利用者さんがたんすの引き出しにおしっこをしていたんです。トイレヘ行きましょうと声をかけた途端、その方がパイプ椅子を手に、“殺すぞ!!”と叫びながら追いかけてきて。あの時は本当に死ぬかと思いました」

 入職後2週間で、辞めようと思ったのも、無理もない。

「殺すぞ!」「本当にごめん!殺さないでっ」イラスト/なかむらるみ

介護のプロでも難しい親の介護

「介護士も人間ですから、暴言を吐かれれば傷つきますし、暴力を受ければ痛い。ふざけるな!って思ってしまうこともあります。

 でも最近は、それでいいと思っているんです。どんな仕事でも、上司からムカつくことを言われたら、心の中でボコボコに殴って、顔はニコニコしているなんて、普通にあることだと思うので」

 ただし、そんなふうに割り切れない場合もある。ある時、施設の上司・Mさんが朝から暗い顔をしていたので、どうしたのか尋ねると、Mさんは泣き出してしまった。聞けば半年ほど前から、お母さんに認知症の症状が出始めたという。

 Mさんは、介護士である自分の経験があれば、母親ひとりぐらい、面倒を見ていけると思っていたそう。

「でもその前日、お母さんをお風呂に入れている時に、バカ!と怒鳴られ、シャワーでお湯をかけられたことにカッとなり、頬を叩いてしまったそうで。

 “利用者さんにはそんなことしたことないのに……”と泣くんです。その時は、なんと言葉をかけたらいいのかわかりませんでした」

認知症が進んでくると怒りっぽくなる人が多い ※写真はイメージです

 介護のスキルや経験がある人でも、自分の親が変わっていくのを受け入れるのは難しい。「他人だからこそ介護できる」というのは、畑江さん自身も介護職を経験して、よくわかるようになった。

「家族間の介護は本当に大変だと思います。私たちは退勤時間がくれば帰宅できますけど、家族は24時間向き合わなければなりませんから。

 そんなご家族の方々が、ひと息つける時間をつくるために私たちはいると思っています。お金はかかってしまいますけど、介護サービスを使うのは決して悪いことではないので、どんどん頼ってほしいです」

 認知症の高齢者が介護施設に入居する経緯はさまざまだが、虐待がきっかけになるケースも多いという。

「手を上げてしまったというだけでなく、ご飯を出さない、話さない、お風呂に入れないといったネグレクトも含め、虐待は多くあります。

 ただそれは、相手を思いやって一生懸命やっていたからこそ、カッとなったり、疲れ果ててしまった末のこともあるのだと、私も介護職員を経験して、身に染みてわかるようになりました」

家族間の認知症介護は想像以上に厳しい。「他人だからこそできる介護」があると畑江さん ※写真はイメージです

お互いの理解を深め、手を取り合っていきたい

「認知症かどうかにかかわらず、老いていくうえで少しずつできないことが増えていくのは、自然なことだと思うんです。そんな中でも、その方ができることをなるべく長い間維持できるようにサポートしていくのが介護士の仕事です。

 ですが、施設入居時に比較的しっかりされていた方のご家族は特に、以前できていたことができなくなることが、受け入れづらいようです」

 プロがついているのになぜ認知症の症状が進むのか?と、憤る家族もいるという。

「施設ではできるだけ利用者さんの状態をご家族と共有するようにしています。さらに本やSNSを通じて介護現場の日常を発信していくことで、ご家族や医療従事者の方々、介護に携わる同業者、それぞれの理解が少しでも深まるといいなと思っています」

イラスト/なかむらるみ

 これまで何度も心が折れそうになりながらも、介護士を続けている畑江さん。介護の仕事に就いたことで、自身の変化も実感しているという。

「以前は人と話すことが苦手で、声も小さかったのですが、自然と恥も照れもなくなって、ずうずうしくなれました(笑)。

 街中で困っているお年寄りを見かけた時も、以前の私だったら誰かがどうにかしてくれるだろうとスルーしていましたが、今は迷わず話しかけられます」

 今後、高齢者の人口はさらに増加し、労働力が減って先行きが不安な日本。だからこそ、介護に関わる人々にエールを送りたいという。

「今も毎日のように、辞めたいと思うことはあります。でも、“お姉さんが作るみそ汁美味しいよ”なんて、利用者さんからの何げないひと言に癒されることもあって。

 これからも大変なことはあるでしょうけど、同業者の仲間たちとお互い頑張っているよね!と励まし合いながら、やっていけたらと思います」

畑江ちか子さん●介護士。高校卒業後、事務職に就いたが、認知症グループホームで祖父の看取りをしてもらったことをきっかけに、介護職へ転身。介護現場の日常を、どこかほっこりできる独自の視点でまとめた著書『気がつけば認知症介護の沼にいた。』が話題に。

教えてくれたのは……畑江ちか子さん●介護士。高校卒業後、事務職に就いたが、認知症グループホームで祖父の看取りをしてもらったことをきっかけに、介護職へ転身。介護現場の日常を、どこかほっこりできる独自の視点でまとめた著書『気がつけば認知症介護の沼にいた。』が話題に。

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取材・文/當間優子