「介護を始めたころは、知らないことばかりで、気持ちに余裕もなくて、いつも焦り、何かにいら立っていました。どこか孤独で、不安で、先のことを考えると怖くて眠れない日もありました」
親との関係がこじれ出した介護の入り口
そう話すのは、『週刊朝日』編集部で記者として活躍していた大崎百紀さん(55)。現在も両親の介護をする日々を過ごしている。
「母は60歳を過ぎてから視力が落ち、視覚障害者の認定を受けています。それでもわずかに残る視力で料理も洗濯もしていたし、買い物にも1人で行っていました」
“老いて子どもの世話にはなりたくない”が口癖だった母親だが、75歳を過ぎたあたりから急激に足腰が弱くなり、階段から落ちて圧迫骨折をして以来、生活がおぼつかなくなっていった。
父親は65歳を過ぎたころから同じことを何度も口にするようになり、アルツハイマー型認知症と診断された。
「それでも80歳を過ぎても、足腰はしっかりしていましたし、会話のやりとりもまあまあ続き、得意のユーモアも健在でした」
大崎さんの両親はしばらくの間、要介護高齢者として自宅で2人暮らしを送っていた。その生活が一変したのは、2019年11月16日だった。
母親が79歳を迎える年、玄関先の小さな段差につまずいて転倒して頭部を強打。その場で意識を失って通行人の助けで救急搬送されたのだ。
「転倒直後の母の様子は普段と変わりませんでした。搬送後は検査で異常がないことがわかるとすぐに帰宅しましたし、命に関わるほどではありませんでした。
ただ、時間がたつうちに明らかに様子がおかしくなりました。怒りっぽくなり、感情のコントロールができなくなってヒステリックになりました」
以前より転びやすくなって歩行はいよいよ厳しくなり、排泄(はいせつ)のコントロールも困難に。認知症症状の悪化だ。また、頭部から前向きに転倒した影響で眼底出血もあり、視力もますます落ちていった。
大崎さんは頻繁に実家へ行き両親の生活を支えた。
しかし“介護の入り口ほど親との関係が難しい”と実感した。母親の症状が悪化していく中で、妄想の激しい言動に怒りが湧き、ゴミ屋敷と化していく実家を片づけ続けると、感謝どころか「余計なことをしないで」と言われる始末。
これは認知症だからしょうがないんだ……わかっているけれども受け入れられない。つらく苦しい時期を過ごした。認知症は“身内にいちばんきつくあたる”のだ。
そして、とうとう自宅での介護に限界を感じてからは、介護施設探しに奔走した。しかし、いったんは特別養護老人ホームに入所したものの施設生活になじめず、生きる気力さえ失っていく両親の様子を見て、1年もたたずに退所を決意。
“この施設で死なせたら一生後悔する”と、再び大崎さんが在宅介護をしていた時期もあるという。
常に選択が迫られる介護でも前に進むしかない
その後もさまざまな介護サービスを活用しつつ、体調悪化による入院など、病状が変わりやすい両親の介護をめまぐるしくしていた。
2023年の年明けには母親が新型コロナウイルスに感染して入院。口からの食事摂取が厳しくなり、延命手段の決断を迫られた。
血管から栄養を入れる人工栄養にして生き延びることを、母親は「いいわよ」と受け入れつつ、「いいのよ、死んでも。ほっときゃいいのよ」と、どこか投げやりに答えたそう。それでも父親の強い延命希望もあり決断した。
「母の人生の残り時間の延長ボタンを私が押すことをしてしまいました。自分の出した決断に私は一生責任を持たなければなりません」
介護の大変さは「自分以外の人生の選択を任され、それに責任を持って生きていかなければならないことに尽きる」と大崎さんは語る。
また、実の姉と介護への足並みがそろわなかったこともこたえたという。特に在宅介護中は、余計なことはせずにただ見守る姿勢の姉と、全力で介護に向き合い親とぶつかる自分の温度差を感じた。
「姉は“老人は老いたら子どもに迷惑をかけずに施設で暮らすのが当然”と考えるタイプで、介護に対する意識が姉妹でまったく違っていました。
同じような温度感で悲しんだり、困ったり、気持ちを寄せ合えていたら、父と母にまつわるネガティブな出来事もかなり乗り越えられたと思いますが、それができなかったことは非常につらかった」
ちなみに、介護に関するお金の管理は姉が担当。
「介護に関するお金はすべて両親のお金から出しています。姉からもらえない時や手元にない時は、両親に毎年あげていたお年玉をこっそり使っていました」
唯一、大崎さんの夫だけがただ愚痴を聞いてくれ、気持ちに寄り添ってくれた。
「あと少しだけ」と毎日祈っている
つらい出来事や感情をのみ込んで真摯(しんし)に介護に取り組んでいる――。大崎さんのエピソードからはそんな介護者の姿が浮かび上がってくる。
「何かに突き動かされて、頑張って動いているのではなく、目の前に親が生きていてサポートが必要になってきたので、私ができることをただ自然にやっているだけなんです。
父も母も親思いで、いつも親を大切にしていました。その姿がまるっと私の人生にインプットされているので、それが私の介護観につながっているのかもしれません」
母親は一時期危篤状態から復活したが両親は共に、現在も入院中だ。
「父は昨年12月に体調が急変し、入院をせずにいったんは落ち着きました。でも、年明けに悪化して救急搬送され、いまだ入院中です。もともと骨髄異形成症候群で極度の貧血のところに肺炎となり、本来ウイルスと闘うための白血球の数値が低いのでなかなか肺炎に勝てない状態です」
呼吸が止まらぬように、つきっきりで酸素飽和度と呼吸状態を見て、息苦しさがひどくなったら痰(たん)の吸引。毎日朝から夜まで父親の病室につきっきりで、母親の面会にも行けない状態が続いている。
昨年5月から半年の期限付きで療養型病院に入院中の母親の退院も延期となった。
「ひとりで2人の介護は厳しいだろうから父親が落ち着くまで延期させるという病院側の配慮です。中心静脈栄養で命をつないでいる母はやはり弱ってきており、滑舌もさらに悪くなりましたが、面会に行くと一緒に歌を歌います」
介護の知識の重要性を認識し、介護福祉士の資格も取得した大崎さんだが、両親には「感謝しかない」と話す。
「親が死ぬ姿をじっくりと見せて旅立ってくれることで、残された側の人生が豊かになるのは間違いないと思うんです。
ただ、今も苦しそうに目も開けられずベッドでただ息をしている父を見ると、『長丁場にさせてごめん』という思いになります。毎日病室を出る時、『あともう1日だけ』『あと少しだけ』と祈る思いでいます」
大崎さんが実感した後悔しない施設選び【5か条】
(1)事前にしっかり見学!利用者の表情もチェック
多くの人が施設スタッフと笑顔で話しているかなどを見る
(2)介護職員の離職率を聞く
自信を持って答えてくれるか
(3)施設の人員配置率を聞く
特養は入所者と看護・介護職員の割合は3対1が基準。1.7対1ぐらいが理想
(4)「重要事項説明書を事前に見せてください」と聞く
渡ししぶる施設がある。その場合は再検討を
(5)「重要事項説明書」にある利用料金の中の「加算」の明細をチェック
不明な加算があれば聞く、納得してから入所を
両親を最初に預けた特養施設は「今考えても残念だった」と話す。大崎さんは気がついたことを自分なりにまとめ、さまざまな施設活用の際の参考にした。
お話を伺ったのは……大崎百紀さん●1969年東京都生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒。元・『週刊朝日』記者、介護福祉士。OL生活を経てライターとなる。著書に『リセットハワイ』『ハワイ式幸せの作り方』などがある。
取材・文/熊谷あづさ