内閣府の調査によると、60歳から69歳までのシニア層の就業率は今や50%を超えている。“生涯現役社会”が強まっているが、70代や80代となれば働くことに不安を覚える人も少なくないだろう。
そこで話を聞いたのが、ビューティコンサルタントとして働く伊東園子さん。体力は?いつまで働くの?ホントの気持ちとは?
久々に同級生と会って「私はこのままでいいの?」
「70歳はまだまだ若い。奇跡の80代を目指そうと(笑)」
「この仕事は定年がないので、元気で続けられるうちは長く続けたいですね。ずっと若々しく健康でいたい。ただ、一人で元気でいてもしょうがないので、大事な人とみんなで元気に年を取りたい。それがスタート当初からの目標でした」
化粧品ブランド・ナガセビューティケァで、首都圏東京エリアマネージャーとして働く伊東園子さん(70)。
「1992年にビューティコンサルタントとして活動を開始し、長くキャリアを重ねてきた。お客様一人ひとりと向き合い、商品やサービスを紹介・販売し、“美と健康”をかなえるお手伝いをしています」
結婚前は羽田空港でグランドスタッフとして働いていた。当時をこう振り返る。
「とてもやりがいのあるお仕事でした。やっぱり人と接することが若いころから好きだったのだと思います」
妊娠を機に退職。夫の意向もあり、専業主婦として家庭に入る。1男2女の3人の子どもを授かり、順風満帆の人生に思えるが──。
「主人の姉が若くしてがんで亡くなったのを機に、主人の家で義父母と同居することになりました。数年後、義母ががんで他界し、義父も体調を崩しがちになりました。30代後半から40代にかけて、本当にいろいろなことがありました」
家事や育児に追われ、すっぴんで髪を引っ詰め、飛び回る毎日だ。もともとのアレルギー体質に忙しさも加わり、肌トラブルも抱えていた。
「ある日街で同級生にばったり会って、昔と変わらない凛とした姿にハッとしました。家に帰って鏡に映った自分の姿に驚愕して。私、このままでいいのかしらと……」
そんなとき、義父の体調や伊東さんの肌を気遣ってくれたママ友の紹介で、ナガセビューティケァと出会った。商品に魅了され働き始めたというが、子どもはまだ就学中で手のかかる時期。しかも仕事復帰は15年ぶりで、戸惑いはなかったのだろうか。
「自宅などで肌診断やカウンセリングをしたり、商品販売をします。出社がないので、それはとてもありがたかったです。家庭を第一優先にするというのが条件で、主人も受け入れてくれました。
お勤めだと子どもたちに寂しい思いをさせたり、家族が具合が悪くても置いていかなければいけないけれど、家にいながらできる。主婦でも仕事がしやすい環境でした」
自宅を拠点に、ミーティングがあれば参加し、商品の勉強を重ねた。フェイシャルサービスがスタートしたときは、講習を受け、いち早く社内資格を取得している。そんな伊東さんに、会社の人たちも魅了されたという。
家族みんなが健康だから乗り越えられる
1996年にはマネージャーに昇進。主婦と仕事の両立を続け、今では夫が確定申告書の作成を毎年行うなどサポートしてくれている。
3人の子どもたちも無事巣立ち、8人の孫にも恵まれた。
「家族が健康で、それぞれ家庭を持ち、それぞれ元気な子どもを授かりました。みんなが健康だからこそつらいことがあっても乗り越えられる力があります。
それにナガセビューティケァには、家族同様に寄り添ってくれる仲間がいます。家族の支えと、かけがえのない仲間や居場所があることは本当に幸せ。財産だなって思います」
ナガセビューティケァには、80代、90代で現役で働く先輩たちもいる。70歳はまだまだ若い、と伊東さん。
「70歳になったとき、同級生がみんな“70歳になっちゃった”と落ち込んでいたんです。でも80代、90代の先輩方を見ていると、70歳でそんなことを言っていたらダメだと思って。70代を元気で突っ走ろうと、そして奇跡の80代を目指そうと思っています(笑)」
伊東園子さん●化粧品ブランド・首都圏東京エリアマネージャー。1953年生まれ。航空会社勤務だったが、結婚して専業主婦として15年間過ごす。ママ友に誘われ1992年からナガセビューティケァでビューティコンサルタントとして活動開始。現在は首都圏東京エリアマネージャー(代理店)を務める。
取材・文/小野寺悦子