渡辺氏が感銘を受けた文章がある。
《でもね、ペコ。僕は必ず生き続けてみせるよ。決してペコより先に死んだりしない。だって、君が大好きな我が家で、また二人、笑い合いたいから。その日を、僕はこの家で、ずっとずっと待っているよ。君が愛したドラえもんたちと一緒に―》
砂川さんが妻を愛したという確かな記録には、どんな言葉でも表現することのできない真実が秘められている。わが家でまた一緒に暮らすという夢は叶わなかった。それでも、彼が全力を尽くしたことは、意味があった。60年来の友人・毒蝮三太夫は、砂川さんの努力をねぎらう。
「やっとつらい介護と闘病から解放されたんだと思うけど、よくここまでやったよ。俺にはとてもできないことだよ。仕事をほっぽりだして介護の毎日で、大山のぶ代のことを本当に大事にしていたんだ。でも、これは今の日本の高齢化社会の縮図みたいな話でね、これから先、年寄りはどうやって生きていかねばならないかという問題を突きつけられた気がするね」
毒蝮が最後に砂川さんに会ったのは、亡くなる1週間前のことだった。
「病院にお見舞いに行ったんだけど、彼はほとんど眠っていて話はできなかったんだよ。彼の人生は、病気になってからもそうだけど、結婚してからずっと大山のぶ代に献身的に尽くした一生だったと思うよ。本人は妻より先に亡くなってしまったことが悔しいと思うけど、俺は彼が最後まで“大山のぶ代の夫”とだけしか見られていなかったことが悔しいね。砂川啓介としての大きな仕事をしてもらいたかったよ。本人はそんなこと言わなかったけど、それも悔しかったんじゃないかな」
通夜前日の15日、大山は棺に眠る砂川さんと対面した。
「棺のそばに行くと、“お父さん……”と言って涙ぐんでいました。でも、すぐに出口のほうに向かって歩いていったんですよ。私が、帰るの? って聞いたら“帰る”って言うから、そのまま帰ったんですけどね」(小林氏)
この一瞬だけ、愛する夫との思い出がよみがえったのだろうか。大山は通夜と告別式には体調不良で参列していない。そしていま、彼女は老人養護施設で暮らしている。
「施設に入ってもう1年3か月になりますから、生活にも慣れました。ご飯もちゃんと食べていますし、家にいるときよりも元気になっていますよ」(小林氏)
妻が心安らかに暮らすことを願って、砂川さんは静かに旅立っていった。