その思いが叶って、52歳のときに、メジャーデビューを果たす。アルバムCD&カセット『爆笑スーパーライブ第1集』をリリースし、大ヒットした。毒舌漫談だけでなく、赤いタキシード姿にロン毛を後ろで縛ったヘアスタイル(のちにかつらをカミングアウト)、扇子片手のいでたちでも注目された。

世に出るにあたっては、自分のスタイルを作り、ハゲてては売れないと思ったから、(かつらを)かぶりましたよ。中高年を笑わせる芸人もほとんどいなかったので、“若い人の漫才やコントは(ネタに)ついていけないけど、あなたの漫談は、私の生活の中にあるのよね”という声をいただきました。中高年と縁があったと思います

 65歳以上の高齢者人口は、3400万人を超え、“4人に1人”と言われる高齢化社会を迎えている。そうした時代背景も追い風に。

時代に乗っかった部分もあります。人生は縁と運と努力だと思っているので、時代との縁、漫談による運、その後の努力があって、そのうえに15年を迎えられた幸せがあったと思います

 日課のマラソンと野菜中心で健康管理

 大器晩成を成し遂げたが、幼少期は、芸能界を夢見てはいなかったという。

「ごく普通の子どもでした。飛行機や列車に憧れ、運転してみたいと思っていました。目立つ子でもなかったので、小学校の学芸会では、すずめの格好をして、舞台を素通りするだけ。当時は、頭のいい生徒から順番に役が振り分けられたので、頭が悪かったということ。頭の形はいいんですけどね(笑)。

綾小路きみまろ 撮影/和田咲子
綾小路きみまろ 撮影/和田咲子
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 人前でしゃべる仕事をしたいと思うようになったのは高校時代です。人気者というより変わり者。人を観察するのが好きで、ジッと見て、そして、笑う。面白そうな女子生徒がいると、見て笑うんです。失礼ですよね。だから嫌われていました(笑)

 いろいろ想像するのが楽しみという人間観察は、今でも続いている。

 収容規模2000人の会場を埋める年間100本に及ぶトークライブは、1時間、立ちっぱなしで、しゃべり続ける。体力的には過酷で、先輩落語家からは、“お前と同じようなことをやっていたら、俺は1週間で死んじゃう”と、言われるほど。

 そのための体力づくりと健康維持に、毎日、30分のマラソンを課している。さらに、野菜を中心にした食事を心がけている。

「毎日、走るのはけっこう、きついですけど、走れる元気があるから、ステージにも立てるという自信や気力になっています。野菜は身体にいいですから、(1食でレタス1個分の量を)毛虫みたいに食べています(笑)。太りやすいので、ご飯は仏壇にあげるくらいの量。身体のことを気にしなかったら、ご飯に納豆、次にお茶漬け、最後に麻婆豆腐でご飯3杯は食べたいです」