両親は物心ついたころから不仲で、離婚後、タカヒロさんは母親に引き取られた。母親は派遣社員。目に見えて生活が苦しくなることはなかったが、やむをえず外食をしたときなど彼女は注文せずに食費を節約していたことを、幼いながらに気づいていた。父親から養育費が支払われていたかどうかは、知らないという。
母親の途切れることのない男性関係
母親との関係がこじれたきっかけは、タカヒロさんが小学校高学年のころ。母親と付き合っていた男性との間に子どもができたことだった。
寝耳の水の出来事に「母親は仕事で忙しいんだと思っていました。だから、僕は独りで留守番をして、我慢して冷凍食品を食べていた。それなのに、あの人は外でそういうことをしていたんだ」と思ったという。
しばらくして女の子が生まれた。しかし、母親は再婚しなかった。彼女によると、相手の男性が連れ子であるタカヒロさんの存在を煙たがったのだという。
1度、母親と口げんかをしたとき、「妹に父親ができなかったのは、あんたのせいだ」となじられた。その後もタカヒロさんを傷つけ続けたのは、母親の途切れることのない男性関係だった。
しかし、男の子がそんな感情をうまく言葉にすることもできない。反抗的な態度や不登校を繰り返す息子に対し、母親はベルトで打ちすえたり、包丁を突き付けたり、部屋に閉じ込めて何日も食べ物を与えないといった虐待で応じた。
歪んでいく親子の関係について、タカヒロさんは「僕が理由を言わないから、母親も僕の本当の気持ちはわからなかったと思います。どこまでも平行線でした」と語る。
母親は雇い止めに遭うことはなかったようだが、生活に余裕はなかった。タカヒロさんが高校に入ってからは、通学費と昼食代は自分で工面することに。また、平日は妹を保育園に迎えに行くことや、掃除や洗濯などの家事を手伝うことも彼の仕事になった。
妹はかわいかったが、これでは部活もできない。学校が遠方で1カ月の定期代が1万円近くかかったこともあり、週末はバイト漬けにならざるをえなかった。何よりも洗濯物を取り込むとき、母親の下着が派手になるたび、また「彼氏」ができたのだとわかることが、タカヒロさんの気持ちを逆なでした。
学校の成績は、教師から大学は推薦で行けると太鼓判を押されるほどだったが、しだいに休みがちになっていったという。
このころ、母親と妹、その時々の「彼氏」と3人で出掛けることが増えた。悪気のない妹から3人で遊びに行ったときの話を聞かされるのはつらかった。また、家に出入りするようになった「彼氏」の1人はタカヒロさんをのけ者にしておきながら、「どうして学校に行かないの?」と諭してきたという。
「なんで俺、ここにいるんだろう?」「俺、ここにいてもいなくても同じじゃね?」
疎外感が募った。直接の引き金が何だったのか、今となってはもうわからない。以前から、首つりのためのロープや睡眠薬を買ったりしていた中で、ついに感電による自殺を図ったのだ。自殺が失敗した原因について、タカヒロさんはどこか他人事のように「銅線の貼り付け方が悪くて、電気抵抗が大きすぎたんだと思います」と分析する。