「ずっとそばにいましたから。いい奥さんでしたよ」

 12月8日、プロ野球監督として名を馳せた野村克也氏の妻で、タレントの野村沙知代さんが虚血性心不全でこの世を去った。この日の午後、自宅から救急搬送され、そのまま帰らぬ人に。“サッチー”の愛称で親しまれた彼女の突然すぎる別れに、克也氏は憔悴した表情で声を絞りだした。

「'05年ごろだったと思うんですけど、あるビジュアル系バンドのシークレットゲストとして、沙知代さんに出演していただいたんです。

 ご本人から“セーラー服を着たい”とリクエストがあり、用意しました。楽屋には野村監督もいらしていて、セーラー服姿に“いいじゃない”とご満悦だったのが思い出されますね」(レコード会社関係者)

 また、過去にはこんなところでも、よく夫婦の姿が目撃されていたという。

ご夫婦で当時あった赤坂プリンスホテルのレストランでお食事しているのを目撃しましたよ。ここは沙知代さんが常連で、“いつもの”と頼むと、オムライスが出てくるんです。彼女はひとりでも来てオムライスを食べていましたね」(テレビ局関係者)

 おしどり夫婦として過ごした約40年。その間にはいろいろな騒動もあった。

「脱税問題や学歴詐称疑惑などがありましたが、世間をもっとも騒がせたのは、やはり浅香光代さんとバトルになった“ミッチー・サッチー騒動”でしょう。連日のようにワイドショーを騒がせましたからね」(芸能レポーター)

 芸能界が沙知代さん派と浅香派に二分するほどに。だが、彼女が脱税問題で芸能界引退を表明したことで、騒動に終止符が打たれる。ライバルだった浅香に話を聞くと、

“宿敵”の浅香光代
“宿敵”の浅香光代

いろいろあったけど、何もかも忘れてもう1度一緒にお好み焼き屋に行きたかったね。うちの近くにお好み焼き屋があるんですけど、そこが好きでね。

 よく一緒に行ったんですよ。うちに来ると何よりもまず“お好み焼き食べたぁい”って言うんです。いろいろある前は本当によく一緒に行ったの、お好み焼き屋に

 と、ミッチー節で思い出を語ってくれた。

 どんなに世間からバッシングされようと強気だった沙知代さん。彼女はよく、

「私は何をやったって80歳までは生きられる。死なないんだよ!」

 と口ぐせのように言っていたと、ある芸能プロ関係者は語る。

25年くらい前だと思うのですが、60歳になるかならないかくらいの沙知代さんが、『アガスティアの葉』という占いにすごく興味を持ったんです。結局、100万円以上もかけてインドへ占い旅行に出たんですよ」(同・芸能プロ関係者)

『アガスティアの葉』とは自分の過去・現在・未来が書かれているという葉っぱのこと。南インドにその占いがあり、彼女はそこを訪れたという。

「占いで80歳までは死なないと出たということで、とても勇気をもらったみたいです。彼女がピンチでもめげずに、強気でイケイケだったのは、この占いに支えられていたからではないでしょうか」(同・芸能プロ関係者)

 結果として、占いよりも長い85年の生涯を静かに閉じたのだった─。