泣いていい、思い切り笑っていい
絵本の出版を機に、人前で話す機会も増えた。
「最初は、事件の話と、絵本の読み聞かせが中心でした」
この集いは、いつしか『ミシュカの森』と名づけられ、以来11年、行政などと協力し、誰もが悲しみを発信できる場として形を変えている。
「母もそうでしたが、弱い立場の人ほど、“悲しい”と声を上げられず、引きこもってしまいがちです。そういう人が、安心して話せる場所を、できるだけ自分でも設けていますし、そうした場づくりの応援もしています。話すこと、聞いてもらうことが、回復の糸口になるからです」
身近な人の死別、離別で悲しみを抱える人を支援する、グリーフケアについても学びを深めた。現在は、上智大学グリーフ研究所で非常勤講師、世田谷区グリーフサポート検討委員を務めるなど、それぞれの立場から、人々の悲しみに寄り添う。
前出・倉石聡子さんが話す。
「入江さんは率直な方なので、自分の弱さや失敗談も、あっけらかんと話します。その姿に、多くの人が“こんな自分でもいいんだ”と励まされ、声を上げることができるのだと思います」
息子さんを自死で失った、皮膚科医の樋口恵理さん(58)も、そのひとりだ。
「講義に参加して驚いたのは、入江さん自身の輝きでした。ああ、人は生き直せるんだと、その姿が教えてくれました。行動力も驚くほどで、私が今、月に1度、医療少年院で治療に携わっているのも、入江さんに誘われて少年院を見学したのが始まりです。虐待経験や障害のある少年たちと向き合う中で、息子の死にとらわれていた気持ちが変化し、自分ができることに気づけたように思います」
山口被害者支援センター直接支援員で、2006年に起きた『山口高専生殺害事件』で娘さんを失った犯罪被害者遺族でもある、中谷加代子さん(57)が話す。
「出会ってまだ2年なのに、杏ちゃんは本音で話せる相談相手です。ずっと聞き役だった夫が、“俺の出番はないな”と肩の荷を下ろすほど、家族以上に家族のような存在ですね。杏ちゃんとはお酒も飲むし、温泉に行ったこともあります。楽しければ、大いに笑う姿に、犯罪被害者である前に、ひとりの人間として、あるがままに生きていいと、気づけたように思います」
2013年、『悲しみを生きる力に』(岩波ジュニア新書)を出版。以来、著書のタイトルをテーマに、講演活動を行う。
全国から講演依頼が途切れないのは、犯罪被害者遺族として同じ立場の人に寄り添うだけでなく、社会全体に支援を呼びかけているからだろう。
「犯罪被害者遺族は、世間やマスコミが求める“遺族らしい姿”に縛られ、苦しくなってしまいがちです。ただでさえつらいのだから、悲しいときは泣いていい、うれしいときは遠慮なく笑っていいと思うんです。そうやって、遺族が素直に気持ちを発信できる社会にしたいし、それを受け入れられる社会になればと、活動を続けています」
講演などで人々と直接向き合うだけでなく、「こう見えても、被害者遺族の中でSNSを活用してるほうなんです」と、ツイッターやFacebookでも、メッセージを発信。一般の人にもネットワークを広げて、社会全体に思いを届ける。