自殺予防活動でボロボロに
修行生活が4年半を過ぎたころ、僧堂への道を開いてくれた老師が亡くなった。根本さんはいったん寺を出て、修行で得たものが、どれだけ社会で役立つか試そうと決心する。
都内に戻り、ハンバーガーショップでアルバイトを始めたのだ。同じアルバイトの学生たちを相手に話していると、将来に悩みを抱え、自殺願望があることを知る。
自殺した3人のことを頭の片隅において生きてきた根本さんは、その問題を放っておくことができなかった。学生相手に、ファミリーレストランのドリンクバーで朝まで相談に乗ることもあった。
’04年、mixi(ミクシィ)にサイトを開き、生きづらさや悩みを抱えた人が交流を図る場をつくった。
そのうち「死にたい」と気持ちをはき出せるサイト『消えない人』も立ち上げた。
「書き込みを見て、同じ悩みを抱えた人がこれだけいるのかと知っただけで、私ひとりじゃなかったと思えて、気持ちが軽くなる人がいます。モヤモヤしたものをはき出せる場所って大切なんですよね。“孤独じゃないんだよ、消えないでほしい”という願いを込めて運営していました」
『消えない人』の活動が発端となり、自殺志願者の相談にも乗るようになる。
’05年から、いまのお寺の住職になり、自殺予防活動をする僧侶として、メディアにも取り上げられるようになった。それに伴い、講演の依頼も増えたが、当時はまだ新人住職。「住職業務に専念すべき」という周囲の声も多数あった。
誰の支援もなく、たったひとりの奮闘が続いた。
そのころ、珍しく友人の武田さんに弱音を吐いたが、
「たとえ活動をやりすぎて、寺の運営が成り立たなくなって破門されても、自殺予防活動はやめないから」
と話していたという。
結婚後、数年がたっていたので、成り行きが心配されたが、幸いお咎(とが)めはなかった。
ただメディアに出るたび、相談者や自死遺族からのメールや電話の数はグンと増えた。そうして前記したように、寝る時間を惜しむように相談に明け暮れる状況に陥り、潰(つぶ)されそうになっていた。いくら解決策を見いだす相談であっても、ほぼ毎日、同じペースで対応すれば、それによるストレスは計り知れない。