説教してみても堂々めぐり……

 ケンカで解雇されてから、息子はまったく働いていない。家で3食食べているが、親の金を持ち出すことはない。

「働いているときお金を管理してほしいと言われ、小遣い以外は全額預かっていたんです。その預金が少しあるので、お金がいるときはそこから渡しています。めったにお金は使わないし、本人も残額は把握していますが、一生暮らせるわけでもないしね」

 夫は息子に関してほとんど何も言わないそうだ。内心は不安を抱えているのかもしれないが、「本人に任せておこう」というスタンスを貫く。

主人自身、仕事ではつらい思いをしてきているんですよね。もともとは親の代から続くお店を継いでいたんですが、近所にスーパーなどができたこともあって50歳を前に経営が破綻してしまって。だから仕事というものは思いどおりにはならないし、合う合わないもあると思っているみたいです。私はそんな主人を見てきたからこそ、息子にはきちんと働いてほしいという思いがある。

 主人は今も24時間の警備の仕事をしているんです。80歳近い父親が疲れて帰ってきたとき“おとうさん、お帰り”と言う息子を見ると、複雑な思いにかられます。お帰りと言う側じゃなくて、言われる側にならないといけないだろと心の中で何百回もツッコミを入れてしまう」

 恵子さんは苦笑いしながらそう言った。恵子さん自身も、平日は午後、家業を手伝いに実家に通っている。仕事を選んでいる時代ではない。時折、そうやって愚痴のように息子に説教するが、「わかってるよ」と言うか黙っているかどちらか。暖簾(のれん)に腕押し状態だという。

 息子が何を考えているのかわからない。社会と接点をもとうとしない子どもたちの親は、みなそう言う。だが、そもそも親子はお互いにそれほどわかりあっているものなのだろうか。一般的には、思春期に反抗期があり、それでもなんとなく成長して社会に出て、いつしか親子は精神的にも物理的にも離れていく。子どもが結婚しようが未婚だろうが、適度な距離をもちつつ年をとっていく。親子というのは、そうしたものだと思っていた。

 しかし彼らのようにどこかでつまずくと、親子は距離のとり方がわからないまま年をとってしまう。物理的な距離がとれなければ精神的にも子どもをわかろうとせざるをえなくなる。もしかしたら、どこかのタイミングで突き放したほうが子どもの自立につながるのではないか。