もう1つ、胸に残っている言葉として、「どうせやるならてっぺんをめざせ」があります。日本の医学会で重鎮だった祖父からの言葉です。
ダンスに打ち込みすぎてあまり高校に行かなくなったころ、ある日突然、祖父から呼び出しを受けました。そして、「何をやってもいいけど、どうせやるならてっぺんをめざせ。上に登れば登るほど、人には見えないイイ景色が見えるぞ」と言われたんです。
今考えると、すごい言葉ですよね(笑)。医学界で功成り名を遂げた祖父から言われると、説得力がすごかったことを覚えています。
きっと「何をやるか」って、自分で思うほどそんなに大切じゃないんですよね。若いころはとくに「自分は何をやるべきか」と悩み、考えますが、極論すればやることはなんでもよくて、「とにかくちゃんとやる」という姿勢のほうがよほど大事なんだと教わりました。
今も、「どんなことに対しても真面目にやる。そして、どうせやるなら上をめざして、徹底的にやる」ことが、生き方のベースになっています。
歌って踊れるアイドル・ダンス・ユニットに!?
「本気でダンスをやって、プロをめざそう」──そう決意したものの、進むべき道はまったく見えていませんでした。「プロのダンサー」なんて当時はほぼ存在しなかったのだから当然です。
そこで僕が考えたのは、「とにかく人目につくところで踊って、自分たちのダンスを広めていく」ということ。いろいろなディスコに顔を出しては、ひたすら踊っていました。
作戦とも呼べない、ただ必死なだけの行動でしたが、これが功を奏して、あるチャンスに恵まれます。「全国ディスコ協会」という、プロのディスコダンスチームを抱える協会の目に止まり、会長直々にスカウトされたんです。
そのとき、僕は高校3年生でした。卒業を待ってから協会に加入。それまで仲間内で我流のダンスを踊っていたのが、初めて正式にダンスを学び、ステージに立つことでお金が貰えるようになりました。もちろん生計を立てるには程遠く、ディスコでウェイターのバイトをやりつつ、合間にステージに立つ、という感じでした。
転機が訪れたのは19歳のとき。突然、僕を含む4人のメンバーが会長に呼び出され、「お前ら、歌を歌え! 歌って踊れるアイドル・ダンス・ユニットとして、デビューさせてやる」って言われたんです。