正直、不本意な話でした。いくらステージで踊れるとはいえ、僕が目指すのは「ダンサー」であって、歌って踊れる「アイドル」ではない。けれど、当時は昭和アイドル全盛期で、マッチやトシちゃんなどのアイドルが連日テレビに出ては、日本中の注目を浴びていました。

56歳のいまもキレのあるダンスで人々を魅了する
56歳のいまもキレのあるダンスで人々を魅了する
【写真】56歳にしてキレッキレのダンスで観客を虜にするSAMさん

 自分たちのダンスを世に出すには、テレビに出るのが一番いい──そう思った僕は、4人組のアイドル・ダンス・ユニットとして、デビューしたんです。

「やめたいです。そして……」

 人前で踊りたい、その一心で始めたアイドル活動でしたが、なかなかうまくいきませんでした。「ディスコ」をモチーフにしたグループだったんですが、ちょうど「ディスコ殺人事件」という事件とぶつかり、ディスコに対する世間のイメージが悪くなっていたのもあって、鳴かず飛ばず。

 1年ほどで、メンバー全員で事務所を移籍し、「RiffRaff(リフラフ)」という名前に変えて再デビューすることになりました。当時イギリスの「デュラン・デュラン」とか「カルチャー・クラブ」とか、派手な見た目の4人組バンドがすごく人気だったので、それにあやかって、僕らも髪を染めてメイクして。キャッチコピーは“和製外国人”(笑)。

 こっちはそこそこ人気が出て、3年ほど活動を続けたんですが……爆発的に人気が出たわけではなく、テレビにもそれほど出られませんでした。あくまでもアイドルだったので、他のメンバーは僕ほどダンスに対してストイックではなく、だんだん活動自体がストレスになっていきました。

「もっと本気でダンスに打ち込みたい。アイドルはやめて、ダンサーとしてステージに立ちたい」──そんな思いを周囲にこぼし始めたとき、事務所の社長から電話がかかってきました。

「お前やめたいのか?」単刀直入な問いに一瞬ヒヤッとしましたが、ここで引き下がったら負けだと思い、「やめたいです。そして、ダンサーになりたいです」と正直に答えました。

 そうしたら、「お前バカか! ダンサーなんて、歌手の後ろで踊るんだぞ。せっかく今前に出て踊れているのに、わざわざバックに下がる気なのか」と言われたんです。

 当時、ディスコではダンサーが前に出てカッコよく踊っていましたが、メディアではまだまだダンサーはバックにいるものでした。言ってしまえば、テレビに出るには「アイドルか、バックダンサーか」の二択しかなかった。

 でも僕が望んでいるのは、「ダンサー」としてテレビに出て、人目に触れて、ダンスの魅力をたくさんの人に届けることでした。僕はいったんテレビの世界から遠ざかって、まずは自分のダンスを突き詰めてみることにしました。