山下とアルバムで共同作業を果たしたJ氏。彼は赤西のマネージャーも務める“相棒”的な存在だ。当時から軍団メンバーとして面識はあったものの、今回のコラボレーションに至ったきっかけは何だったのだろうか。
真相を聞くため、11月末の夕方に自宅から出てきたJ氏を直撃した。
─Jさんですか?
と声をかけると、こちらを向いて軽くうなずいてくれる。しかし、山下の名前を出すと表情が一変した。
─山下さんのアルバムが発売されましたが、作詞のお手伝いをされていますよね?
問いを投げかけると、バツが悪そうに下を向き、迎えに来ていた乗用車に乗り込む。
─赤西さんも、今回の作詞に関わっているんですか?
と声をかけたが、J氏は何も答えない。すぐに車は走り去ってしまった。この件について話をしてはいけないと言われているのだろうか。山下が活動を再開するにあたってJ氏と組んだことは、彼の海外志向のあらわれでもある。
「山下さんは、Jr.時代から足繁く海外へ通っていました。当初は英語を話すことができませんでしたが、今では冠番組をこなすほどペラペラ。友人も海外の人が多いです。外国人女性とデートをする様子が報じられたこともありました」(前出・スポーツ紙記者)
デビュー当時はアイドル色が強かったが、次第に方向性が変わってきた。