「麻央さんは、成田屋の跡継ぎである勸玄くんに英才教育をしてくれるセレブ託児所に1歳から預けていました。
保育料は月に24万円以上するのですが、麻央さんはお受験対策というより、歌舞伎役者として舞台に上がっても臆することがないよう、早くから親離れさせることが目的だったようです。ですので、姉の麗禾ちゃんはここに通わせていませんでしたからね」(成田屋ご贔屓筋)
歌舞伎ファンの女性は「母」目線
大勢の報道陣を前にしても勸玄くんが堂々と襲名の口上ができたのは、麻央さんの教育によるところが大きい。そして、彼も母親の期待に見事に応えている。
「今、歌舞伎ファンである女性の多くは、勸玄くんを母のような温かい視線で見守っています。それは、麻央さんがブログなどで自らの病や子どもたちのことを包み隠さず綴ったことで、多くの人たちの胸を打ったからです。
遺していく勸玄くんをみなさんで支えてほしいという母親の想いが、5歳にして勸玄くんを“千両役者”にしたといっても過言ではないでしょう」(別の梨園関係者)
彼の人気が、これからの歌舞伎界を変えていくかもしれない。そして、麻央さんは海老蔵の背中をも、そっと押していた。
「1月の舞台で海老蔵さんは初めて『平家女護島 俊寛』を演じました。これは、島流しになっていた俊寛が罪を許され都に戻ろうとするのですが、妻はすでに亡くなっていることを知って絶望し、ひとりだけ島に残るという悲しい話なんです。
松本白鸚さんに教えを請い、必死に稽古したそうです。襲名発表と同じ月にこの役にチャレンジしたのは、間違いなく俊寛と自分の心境を重ねたからでしょう」(同・梨園関係者)
海老蔵の熱演を見て、多くの観客が涙を流していた。
麻央さんの想いを受け継いだ團十郎と新之助が、新たな歌舞伎界を切り開いていくに違いない─。