当時のキムタク人気はすさまじく、まさに木村拓哉がSMAPを引っ張っていたと言っても過言ではない。先の編集者が続ける。

「木村くんも、自分がSMAPを引っ張っているという意識が強く、当時はかなり天狗になっていました。

 インタビューでも“あぁ”、“まぁ”、という態度で、ある日、女性ライターさんが『仕事でしょ! あなたもアイドルで商売してるんだから、ちゃんと話しなさいよ!』と、キレたんです。それ以来、木村くんの取材がまともになったのは、有名な話です(笑)」

 写真集業界に“ヘア解禁”という衝撃が走ったのも平成3年だった。

 樋口可南子(当時31歳)の写真集『water fruit』に写り込んでいたヘアーが、日本の出版・映像業界における事実上の“ヘア解禁”となり、本木雅弘(当時26歳)の『white room』、そして累計165万部以上を売り上げた、宮沢りえ(当時18歳)の『Santa Fe』(いずれも撮影は篠山紀信)が発売された。

 なかでも宮沢りえは衝撃的だった。

りえママの判断力

 一般紙の朝刊一面でヘアヌード写真集の広告が出るなんて、前代未聞。

 しかも人気絶頂のアイドル写真集だ。撮影した時期が18歳ではなく17歳の時だったなど、児童ポルノ論争にもなったが、さらに驚いたのは“りえママ”の言動だった。

「自分の娘とはいえ、マネージャーとしての判断は異常なほど早く、思いきった決断が多かった。この写真集を作るときも、篠山紀信が別の撮影時にいつもの挨拶のように、『もう18歳になるんだから、りえのヌード撮らせてよ』と言うと、りえママが『連休明けかな、撮るんなら』と即答。これには、篠山も驚いたと聞いています」(芸能事務所関係者)

 さらに驚いたのが、りえママが本人にヌード撮影の了解をとったのも、撮影ギリギリのタイミングだったという。