翌日夕、このままでは自分も死んでしまうと思い、かよ子さんの遺体が流されないようヒモで柱に固定し、「行くからな」と告げた。がれきの中をはだしで歩き、救助された。かよ子さんを失った喪失感は大きかった。
「仮設住宅に入りましたが、誰にも会いたくなかったし、ごはんも食べずにひとりで酒ばかり飲んでいた。でも1年近くそんな生活を続けていたら立ち上がれなくなった。そのとき、このままではだめだ、と気づいたんです」
昼間は散歩し、集会場や酒場にも顔を出した。津波の話をし、同じ境遇の人たちとのつながりが大坂さんを支えた。
震災から約4年後、知人の紹介で中華料理店の厨房でアルバイトをすることになった。
「体力がなくなっていましたね。中華鍋も振れなかった」
と苦笑する。なじみ客から「また店をやらないのか?」
と聞かれると、
「しねえって断っていたんだけれども、身体の調子もよくなってきたらもう1度やってみようかって気になりました」
背中を押したのは復活を待ち望んだなじみ客の声援だ。
オープン前に中華そばを作った。震災から実に7年ぶりに作る自分の味だった。
「友人に食べさせると、“大坂さん、うまいよ”って。涙が出てきたよ。“変わんねぇ、同じ味だ”って……」
友人のひと言が自信になった。中華そばは毎日かよ子さんが味見をしていたというが、
「今は誰にも味見はしてもらっていません。味に自信を持っています」
長女の安部志保さん(35)は休日などに夫の慎介さん(45)とともに大坂さんを手伝う。
「久しぶりに食べたとき、この味だなってうれしかった。似ているラーメンはあるけど、違うんです。お父さんのラーメンは毎日でも食べられます」(志保さん)
再開は口コミで広まり、神戸など遠方から足を運ぶ人も。
「目標は行列のできるラーメン店です」と大坂さん。
かよ子さんはきっと、喜んでくれている。
《INFORMATION》
宮城県石巻市須江大平71-1 0225(73)4811
営業時間:午前11時~午後4時
※週末は午後2時ごろにスープ切れで完売する場合も
水曜定休