そして、ハロプロからも昭和アイドルを引き継げそうな存在が出てきます。松浦亜弥です。同時期にデビューしたSAYAKAをさしおいて、聖子の再来とまで呼ばれた彼女は、平成でもソロのアイドルが成立するのではという期待を抱かせました。
あややの失速が感じさせたこと
しかし、平成に入って以降、アーティスト性よりもアイドル性を打ち出した人は、宮沢りえにせよ、広末涼子にせよ、歌手としては大成していません。あややも2年ほどで失速しました。
そして、聖子については興味深いエピソードが。平成26年に『嵐にしやがれ』に出演した際、大野智がこんな感想を口にしました。
「すっごい可愛かったね。今まで出会った芸能人のなかで、ダントツかな」
50歳を過ぎてなお、そこまで言わせてしまえるのは、人生を“可愛さ”にかけてきた彼女の才能と努力の賜物でしょう。
聖子を筆頭に、昭和のアイドルはもっぱら、自分の歌をうたうことで、可愛さをアピールしてきました。あややの失速は、そんな“個人”で可愛さを表現するアイドルの終わりも感じさせたのです。
そんななか、チームで体現する可愛さにいち早く目をつけたのが、秋元康でした。昭和終盤にはおニャン子クラブを仕掛けましたが、テレビ局主導だったため、番組終了とともにブームが去ったことを口惜しく思ったといいます。
それゆえ、地に足のついたおニャン子を目指し、AKB48をスタートさせました。自分たちのホームグラウンドで定期公演を行い“会いに行けるアイドル”を標榜、CDに握手券をつけ、総選挙を開催してセンターを決めるといったアイデアは、ファンの萌えツボを巧みに刺激するものでした。
というのも、大勢の女の子たちのなかから“推し”を選び、応援すればするほど、そのメンバーが売れていくというのは、ファンにとっても男女問わず、楽しいことだからです。しかも、AKB商法と呼ばれる優れた換金システムが存在することで、運営も安定し、スポンサーもつきやすくなります。
それゆえ、このプロジェクトは拡張を続け、また、多くの模倣を生みました。地下アイドルやご当地アイドルも含めれば、いったいどれだけのアイドルグループが活動しているのか、もはや想像もつきません。
この乱立ぶりから思い出すことがあります。平成初期のセクシーアイドルグループのブームです。C.C.ガールズやシェイプUPガールズで火がつき「私たちがちょうど100番目です」と言ってデビューしたグループもいました。このブームは結果として“セクシー”と“アイドル”両方のありがたみにデフレをもたらしたといえます。