地元の釣り堀に、魚がすぐ釣れるようにエサをやらないでほしいと前もって頼んでおきました。
そして、宮内庁の職員にご一家が釣り堀にいらっしゃるように交渉して、当日はポンポンと魚を釣ってもらうところを撮影させてもらいましたね」(写真③)
小島「私の時代には、宮内庁にそういう要請をすることは考えられませんでしたね(笑)。
すべてが決められた時間に、決められた場所で撮影するという形になっていました」
今井「私の若い時代にもまだ交渉するようなことはありましたね。
出版社の何社かで日本雑誌協会を通じて宮内庁に、美智子さまのこういう写真を撮りたいという交渉をしに行った記憶があります。
札幌プレ五輪大会で両陛下が手を取り合ってのスケート撮影も、国民に親しんでもらいたいという意識があったと思います」(写真④)
松本「葉山のご静養のときもそうでした。海岸を散策する場面の撮影がありましたが、皇太子さまが波を怖がる可能性があったので、浮輪のようなおもちゃを置いておくように頼んだんです。
すると、やはり興味を示していただきました(笑)。
そのときの写真が、その年の優れた写真を選ぶ『アサヒカメラ年鑑'62』に掲載されたのはうれしかったです。
皇室の写真が選ばれることは珍しく、それだけインパクトがあったのでしょう」
今井「私が印象に残っているのは栃木県奥日光の刈込湖での幻想的な1枚ですね。
奥日光は戦争中に陛下が疎開していた場所で、そこに旅行に出かけられたときのものです。