両陛下のご成婚当日に「新しい皇室の幕開けだと感じた」と話すのは、皇后さまと同世代で、ご成婚当時から25年以上も取材を続ける友納尚子さん。そんな彼女から語られたのは、陛下と雅子さまの知られざる“愛の絆”だった―。
「ご成婚当日は、パレードの直前まで雨が降っていたのですが、おふたりが乗るお車が出るタイミングで急に晴れ間が広がったことを覚えています。今回の5月1日の即位の日も、新天皇と皇后雅子さまが皇居・宮殿に出入りされた際も一瞬雨があがったので、彷彿とさせる思いでした。
私は雅子さまと同世代ですが、とても美しく、経歴も実に華々しい。それは、雇用均等法で社会進出する新しい日本女性のモデルでもありました。同時に国際親善にもさらなる期待が持てる新しい皇室の幕開けだとも感じましたね」
'93年、ご成婚時の雅子さま人気は大変なものだったと話す友納さん。
公務をこなされていく一方で'01年、待望の長女・愛子さまを出産された。懸命に子育てに邁進されていたという。
「御所近くの公園に連れて行かれたり、外苑前のイチョウ並木を乳母車で散歩されていましたね。ほかのお子さんと接すると愛子さまがお元気になり、得るものが多かったようです。
御所内で流す音楽は、以前までクラシックだったのを童謡にかえたり、絵本の読み聞かせもおやりになっていたそうです。一方の陛下は、お風呂に入れて差し上げたり、ミルクを作ってあげたり、役割分担ができていたのです」
子育てに奮闘される一方で、「子育てばかりしている」という批判の声も上がった。そして'03年12月に『帯状疱疹』を発症、翌年6月に『適応障害』の診断を受けて療養に入られてしまった。
「'04年に2週間ほど軽井沢で静養されましたが、当時の雅子さまは疲れきっていて、体力や精神的にも大変だったので、移動すら難しかったそうです。
そんな状況を見ていた上皇陛下は、雅子さまの妹さんが滞在していたスイスでの静養をおすすめされたり、美智子さまも乗馬をご提案なさったりして見守られていました。静養後は、定期的に乗馬をなさり、主治医の指導の下、妹さんご家族とディズニーランドにも行かれましたが、すぐに体調はよくなりませんでした。
東宮御所では、壁にもたれながら愛子さまのお世話をされるなど、立ってすらいられないという過酷な状況だったそうです。ご病気の性質から自信がなくなられて、発想も悲観的になってしまわれたというのも理解できます」
公務をこなせない時期が続いたせいで、世間から批判の声が上がった。しかし、皇太子妃としてお務めを果たされようと、できる公務から続けてこられてきた。
「精神疾患というのは、根が深い病気で、周囲もこの病気をどういうものかを理解しなければなりません。
雅子さまの場合、今までこなせなかった公務を、いつの間にかできるようになっている状態になることが回復したといえるそうです。
天皇陛下をはじめ、東宮職にも支えられて、八大行啓を中心に予定は組まれていました。日帰りできる地方から足を運ばれるようになり、スケジュール内容もひとつからふたつ、それ以上と増やされていったのです。ご体調によって外に出るのが難しいときは、東宮御所内でのお務めが続くこともありました。東宮御所などの清掃活動を行う勤労奉仕団を大切にしていないのではなく、人からの見られ方に敏感になられていたことから、女子高生の団体から会釈をされていきました」