「漫画家になりたい」と両親にウソ
魔夜さんは新潟県の出身で、海辺にある小さな家で育った。読書は子どものころから好きで、「単純な少年マンガよりも、文学的な少女マンガに強く心惹かれた」と言う。
高校に入ると母親から昼食代としてもらった100円のうち、50円で菓子パンを買って、残り50円を貯め、ずっと本を読んでいた。隣の席の女子に「山田くん(魔夜の本名)、学校に何しに来てるの?」と言われたほどだ。
そんな文学少年は、大学進学とともに大阪へ。1度、推理小説の執筆にも挑戦したことがあった。
「まだワープロが出始めのころで、デスクトップのでっかいやつで打って。原稿用紙で50枚ぐらい書いたところで、まだ死体が出てこない(笑)。イライラしてやめちゃったんです。部屋の景色を表現するのもマンガだったら一発じゃないですか。これどうしてこんな細かいこと考えなきゃいけないんだろうって、もう嫌になっちゃって。だから私、文筆家には向いてないんです」
漫画家デビューは1973年、怪奇ものの『見知らぬ訪問者』だ。大阪芸術大学デザイン学科でインテリアデザインコースに在籍していたが、授業には出ずマンガをひたすら描く日々。大学が面白いと思えず、2年で中退を決心する。
「漫画家になろうと思ったことはないんです。でも大学をやめる口実として“漫画家になりたい”と、両親にウソをついたんですね。あと2年、大学に通わせたと思って食わせてくれと言って」
実家のある新潟に戻ってから、描いても描いても、自分の作品のクオリティーに満足がいかず、葛藤の末にスランプに陥ってしまったのだ。ペンを持つこともなく毎日読書に耽った。その数は、半年で約800冊にものぼる。
「SFやミステリー、ファンタジーが多かったですが、内容はほとんど覚えていません。ただ、とにかく量をこなしたことで“面白い本ってこういうものなんだ”という本質はなんとなくわかった気がしました。ストーリーの作り方の勉強をさせてもらったかな」
大学を中退し、約束の2年が過ぎた。これ以上、親に甘えるわけにはいかない。そこで開き直って描いた作品『やさしい悪魔』が賞を取り、2度目のデビュー。漫画家として実質的なスタートを切った。
「そのあと2、3回スランプに陥りますが、そのときに比べたらどうってことない。だいたい、スランプや四十肩、五十肩なんて2年で過ぎるんですよ」