「ジャニーさんが、東京五輪に並々ならぬ思いを持っていたのは周知のとおり。'13年に東京開催が決まると、すぐに『2020』プロジェクトを発足。森喜朗元首相や要人らを帝国劇場に招待するなど“ロビー活動”にも精を出しました。'20年をプロモーター人生の“集大成”とし、そして“勇退”と決めていたと言います」(芸能プロ関係者)
東京五輪・パラリンピックの開催まで1年。世界が注目するビッグイベントに携わることなく、ジャニー喜多川さんは夢半ばにして逝ってしまった。
'64年の熱狂と興奮を肌で感じたジャニーさんには、五輪は最高のエンターテイメントに映ったことだろう。当然、見る側ではなく、“魅せる側”として夢のステージを手掛けることを、現実としてとらえていたのかもしれない。
五輪からジャニーズが撤退
実際、近年の興味は五輪に向いていたとも。
「SMAPの解散や、元TOKIO山口達也の逮捕など、ジャニーズを根底から揺るがす大騒動が起きましたが、どこか他人事のようだったと言います。
SMAP解散を迎えた'16年8月も、ジャニーさんは'20年を担うJr.が出演する舞台に足繁く通っていました。もしかしたら、時間が残されていないことを自分でわかっていたのかもしれません」(同・芸能プロ関係者)
それほどに五輪に入れ込んでいたジャニーさんだったが、現実はうまくいかなかった。昨年7月に、東京オリンピック・パラリンピック開閉会式の演出を野村萬斎が指揮することが決まったのだ。
「それまでは“帝国劇場で開演されるステージを20年仕様にする”など、と夢を膨らませていたジャニーさんですが、トーンダウン。
掲げていた“20人+20人”のユニット構想もいつしか立ち消えに。東京五輪こそ“生きがい”となっていただけに、落胆は相当なものだったのではないでしょうか。本番を迎える'20年、ジャニーズのタレントが総じて“撤退”することも予想されます」(同・芸能プロ関係者)
それを物語るかのように先日、とある発表がなされた。
7月5日に放送されたTBS系『ぴったんこカン・カン』において、同局で放送される五輪放送の「総合司会」を安住紳一郎アナが務めることが発表されたのだった。
「“総合司会”というのは、その名の通り番組をメインで仕切ることです。これまで同局の五輪番組では、'08年のアテネ大会から冬季も合わせて8回連続で中居正広さんが“メインキャスター”を務めてきました。
当然、東京五輪の“顔”になることは悲願だったことでしょう。仮に安住さんとのタッグで務めるのならば、同時に就任発表してもいいものですが……」(広告代理店関係者)
しかし、続けて中居の名前が呼ばれることはなかった。彼は今なお、ジャニーズ残留か退社か、動向がはっきりしていないともされる。そもそも、ジャニーズに残り続けたのは、ジャニーさんへの“恩義”からだという向きもある。
「“魅せる側”と“伝える側”と立場は違えども、ジャニーさんと中居さんは東京五輪を共通の目標としていたところはあると思います。ジャニーさんが倒れたことで、容体を踏まえてキャスターの“降板”を申し出ていたのかもしれません」(同・広告代理店関係者)
6月にジャニーさんが救急搬送された際、いち早く駆けつけ最後まで付き添っていたのが中居だったとも。彼らは枕元で、どんな“会話”をしたのだろうか。