芸能プロが語る“ジャニーさん伝説

 別の芸能プロ関係者は、次のような“ジャニーさん伝説”を教えてくれた。

「『阪神・淡路大震災』へのチャリティー活動を目的としたグループ『J−FRIENDS』の楽曲を“誰に作ってもらったらいいか”と、ジャニーさんがJr.たちに相談したことがあったそうです。“世界的に有名な人がいいんじゃないですか”と言われたジャニーさんは、おもむろに誰かに電話。誰かと思ったら、その相手がマイケル・ジャクソンだったんです(笑)。流暢な英語で話していて、電話を切ると“マイケルからOK出たよ”と言って、本当に彼が作詞作曲した『People Of The World』が完成したと聞きました」

 そんな逸話の一方で、関ジャニ∞の横山裕とはこんな笑える話も……。

「横山クンの芸名を決める際、ジャニーさんが最初に提案したのは『ヘンリー横山』でしたが、本人は納得せず……。別の日に一緒に焼き肉を食べに行ったところ目の前に上カルビがあるのを見たジャニーさんは“そうだ! 上カルビだから『横山ジョー』でいいじゃない。響きもいいし”と提案したそう。それでも横山クンが拒むと“じゃあ、もうユーの好きにしなよ。『ユー』でいいじゃない”ということで『横山裕』になったんですよ(笑)」(テレビ局関係者)

 所属タレントたちと仲睦まじく接していたジャニーさんだが、ときには“厳しい顔”を見せることも。

「モチベーションを上げようとしていたのか、目をかけているタレントにはあえて1度、挫折を味わわせるようなことをしていましたね。例えば人気のあった『KinKi Kids』よりも『V6』、タッキーと今井翼よりも『嵐』を先にデビューさせたり。

 さらに、プロの厳しさを教えるために、コンサート本番当日に“親族が危篤だから休ませてほしい”と言ってくるタレントがいた場合、“アイドルの仕事をしていたら、親の死に目には会えないんだよ。ファンが待っているから、仕事に行きなさい”と伝えていたんです」(前出・ジャニーズ事務所関係者)

 自身のモットーである「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは続けなければならない)」の思いを伝えていたジャニーさんだが、実は複雑な思いも抱えていたそう。

「“どんなことがあっても仕事に行きなさい”と言うことに関して、周囲には“僕の考えは間違っているかな。これはずっと悩んでる。死ぬまで答えは出ないだろうな”と、漏らしていました」(同・ジャニーズ事務所関係者)