“女性という立場”は有利に働く
アメリカで人気のある女性のコメディアンの特徴を見てみよう。まずはその笑いや存在に“社会性”があること。これは男性の場合も同様で、キーワードは“風刺”や“皮肉”。
そのルーツはヨーロッパにあり(イギリスにもスタンダップコメディが。フランスでも似た形式がある)、「イエス・キリストは笑わなかった」という逸話や、ドイツ人聖職者のヒルデガルト・フォン・ビンゲンが「笑いは悪魔の象徴」としたことなど、中世では笑いが宗教的に“タブー”視されやすかったことから、笑いもせめて、神学的象徴である“知(ち)”に立脚しなければならなかったからではないかと推測できる。
またケイト・マッキノンがレズビアン、マーガレット・チョウがバイセクシャルと、性的マイノリティーでもあることにも注目したい。現在、世界的にポリティカル・コレクトネスが沸騰しており、“女性”という面も合わせて「社会的弱者」とみなされやすい立ち位置はむしろ有利に働く。チョウに至ってはアジア人という属性もある。
容姿でいえばケイトはスラリとした美人だが、メリッサやチョウはふくよか。ぽっちゃりした体形を生かした芸風のコメディアンではエイミー・シューマーも有名で、絶世の美女でなければ成功しないということはまるでない。
笑いのNG事項としては、日本のツッコミのように相手を叩く笑いは“暴力行為”に。自分より階層が低い人へ向けての“風刺”や“皮肉”もタブー。女性をあからさまに辱める下ネタもセクシャル・ミスコンダクトとみなされ、例え女性が発言してもアウト。
だが“自身の人種”をネタにするのは「OK」だ。先述のRio(小池良介)は「日本人の笑いなんて面白くないとお前ら思ってるだろ」「(突然舞台の照明にトラブルが起こり)、電機関係を修理できると思って日本人を呼んだな」など欧米の日本人への偏見を逆手にとったトークを展開。客席にいるフィリピン人やインド人も“アジア人”の括りで同様にいじるなど、自身が日本人、アジア人であることを自虐ネタにしてNYっ子の人気をさらっている。
ゆりやんがアメリカで成功する可能性
こう見ると日本の女芸人がアメリカへ進出できる可能性が見えてくる。
まずひとつに、“女性である”こと。日本でも女芸人の地位や価値は上昇したものの、上沼恵美子のように冠番組まで持てる女芸人はわずか。だが実力社会のアメリカではそれも有利ともなり得る。次に“アジア人”であること。“自身の人種”をネタにするのが「OK」である風潮からトークのネタが作りやすい。アメリカでも何でも差別として弾劾(だんがい)する風潮の庶民の不満は低くなく、堂々と自虐ネタができる黒人orアジア人コメディアンを歓迎する向きもある。
ちなみにRioがwebサイト『NEW YORK愛知県人会オフィシャルウェブサイト』に寄せたコメントによれば、
《言葉の違い、アメリカ文化の知識不足などが理由でコメディーは困難とされているようですが、ダンス、音楽、芝居など、他のパフォーマンスよりむしろ日本人はコメディーに向いていると思っております。コメディーは最もシンプルなパフォーマンスで漫才と違い相方も要らず、楽器などの道具も用意する必要がなく、ただ決められた時間をエンターティンし。ダンスと違い肉体的限界を理由に引退もありません》
のだそう。日本人にも十分チャンスがあるのだ。
ここで特筆したいのがゆりやんレトリィバァについてだ。
まず知名度として『アメリカズ~』で話題になったことで頭ひとつ抜き出した(動画も番組公式サイトで850万再生突破するほど)。次に英語力。審査員との英語での流暢なトークは会場を大いに沸かせた。
次に笑いのセンス。自身の滞在するホテルと部屋番号を審査員などに伝える色仕掛けのネタは大阪の劇場でもやっていたもので、日本のネタがアメリカでも通用することを証明した。
そして舞台度胸。堂々と自身の芸やトークを披露する力はアメリカのコメディアンに匹敵する。
またRioのように社会風刺、政治風刺をしなくても、自虐ネタが得意なゆりやんは“アジア人”の属性で戦える。この点でも有利。
先日、吉本興業のお家騒動でコメントを求められた際のゆりやんの対応に対しても「この状況を笑いにできるのはさすが芸人」などの声がSNSにあふれており、笑いへの真摯な姿勢も十分。ふくよかなルックスもハンデにならない。
つまり今後の方向性を間違わずに彼女の芸が成熟していけば、海外進出芸人“最速”の可能性が見えてくるのだ。
果たして彼女はアメリカ進出できるか。同じ日本人として今後が楽しみだ。
(衣輪晋一/メディア研究家)