新たな夢を抱いたトニーさん。まずは食を広めようと、'96年に相模原市に多国籍料理店を開いた。内装やインテリアもアフリカをイメージして手作りした。
少しずつ店舗を増やし、店長は日本人に任せたが、外国人の店員を必ず置いた。オーナーのトニーさんはちょっとしたトラブルがあるたびに呼ばれる。昼間の仕事が終わった後に各店を飛び回った。
'99年に学研ホールディングスに移り、部長として働いた。パソコンと英語を同時に学べる学校を作るプロジェクトで広報に携わったが、2002年に辞職。店の経営に専念することにした。
順子さんと出会ったのは青葉台の店だ。順子さんは店の雰囲気が好きでよく訪れていた。気さくに話すトニーさんと意気投合し'10年に結婚。娘は8歳、息子は6歳になる。家庭でのトニーさんは“子どもファースト”だという。
「子どものやりたいことをていねいに聞いて、ちょっとでもお腹がすいてたら食べさせてあげたり、過保護すぎるときもあるくらい(笑)。
自分の子どもに対してだけでなく、子ども食堂に来る子どもたちにも同じスタンスですね」
アフリカの文化を広めるため、トニーさんは2009年にアフリカヘリテイジコミティーを設立(ガーナでNGO法人として届け出後、日本でNPO法人格を取得)。理事長に就いた。
20年来の友人の大塚由利子さん(45)はトニーさんの店で働きながら、法人の立ち上げに協力した。今は副理事として活動を支えている。
「初めて会ったとき、トニーさんが遠くから走って行って困っている外国人を助けるのを見て“あ、こういう人なんだ”と。
それに、いつの間にか人を巻き込む力もある。あれ、何で私、これを手伝っているんだろうってことが、結構あります(笑)。
なぜか子どもはトニーさんにすぐなつくんですが、トニーさん自身も子どもなんじゃないかと思うときがあります。例えば、シリアスな話をしているときに、道を歩く変わった人を見つけて“あの人見て”と場を和ませたり。すごく遊び心があるんですね」
いつも温厚なトニーさんだが、ひどく怒った姿を大塚さんは見たことがある。
決してあきらめずに戦う
アフリカの文化や音楽、食べ物を紹介するフェスティバルを企画したときのこと。参加するアフリカの人たちとの国際交流のため、日本側も寿司やてんぷらなど日本料理でもてなしてほしいと頼んだ。
「味噌汁と白米でいいよ」
対応した担当者に笑いながらそう言われ、トニーさんはテーブルをバーンと叩いて怒った。
「それはないでしょう!」
同行した大塚さんも、あきれてしまったそうだ。
ほかにも国際交流の場で「黒い人が来た」と陰口をたたかれたり、黒人だからと見下されたり。トニーさんはそのたびに傷つくが、決してあきらめずに戦うのだと、順子さんは説明する。
「座右の銘は“不可能を可能にする”です。前例がないとか却下されても、粘って粘って交渉して、相手を変えていくところを何回も見ています。
最初は敵対していた人でも、最後はやさしく声をかけてくれたり。ぶつかりながら、お互いに理解していくんですね」
これまで神奈川県内各地で年に数回アフリカフェスティバルを開いてきたが、'14年からは東京の日比谷公園でも開催。さらに講演会をしたり、学校で授業をしたり。
アフリカでビジネスをしたいと考えている日本人とアフリカを橋渡しする活動も始めた。休む暇もない忙しさだ。