“変態”部分の表現がマイルドに

 星野といったらやはりAV。エッセイでは語る回数が多かったが、自分が好きなAVについて語った以下はすべて削除。

《作品の中には「素人風演技もの」というカテゴリーが存在し(俺の中で)、それは大好物であるということだ。それも女優のすばらしい技量が見られる「プロの仕事」の一部である》

 また、セックスと自慰行為が別物だという、男性に多い意見について語った場面もオールカットされている。

《どこまでいこうが、風俗はセックスではない。なぜなら、そこには愛がないからだ。(中略)愛のないセックスで得られる快感は「一人ではないオナニー」に過ぎない。(中略)ピンサロが浮気でないなら、AVはもっと浮気になりえないわけだ》

 本項は《というわけで、今から、AV見ます》という言葉で締められていたがそれも削除されている。

 仕事の現場でも彼の“変態さ”が発揮されていたことが通常版のエッセイでは盛り込まれていたが、初めての主演舞台『テキサス』の稽古の報告した回は表現がマイルドに。

《本当に疲れた。疲れすぎて逆に、股間は元気だ。疲れマラだ。どうだい木南さん、野波さん美人女優のお二人、見てください。俺はいま勃っています。稽古をしながら何故か勃っていますぞ。どうぞ見てやってくれ。しかし、これでもしちんこまで元気がなくなったとしたら、俺はもう限界なんだろうな》

→《本当に疲れた。疲れすぎて逆に、股間は元気だ。稽古場の皆さん、ぜひ見てやってください。私の股間は元気ですよ! これでもしちんこまで元気がなくなったとしたら、もう限界なんだろうなと考える》

 “木南さん、野波さん”とは、もちろん舞台で共演した木南晴夏と野波麻帆のことだ
創作風景を伝えた回でもエロ話は欠かせない。

《考えすぎると客観的になれず、製作中の音が正確に聴けなくなってしまうので、AVを見て心を無にしたり、エロサイトを観て流行の性知識を学んだり、スポーツニュースの女性アナウンサーの脚を見て「ここ三日間で抱かれたか否かを予想」したりして、脳を一回レコーディングモードから切り離す

→《考えすぎると客観的になれず、製作中の音が正確に聴けなくなってしまうので、AVを見て心を無にしたり、エロサイトを観て流行の性知識を学んだりして脳を一回レコーディングモードから切り離す》

 女子アナへの変態的な目線をカット。ちょっと言い過ぎたと思ったのか、はたまた女子アナへの興味が薄れた?

左が通常版(マガジンハウスより)。右が今回発売された文庫版(文藝春秋より)
左が通常版(マガジンハウスより)。右が今回発売された文庫版(文藝春秋より)
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