長年、少女マンガを描き続けてきて、ファンのみならず同業者からも強い尊敬の念を集める作家、くらもちふさこ先生。常に時代の最先端を行くスタイリッシュな絵には誰もが憧れたし、行間を読ませる会話や抑制の利いた演出は、まさに超一流のマンガ表現の宝庫だ。
近年、朝ドラ『半分、青い。』の登場人物のモデルとなったことで再び注目を集めているが、その変わらない作品の魅力と、時代に即して変わり続けられる稀有な柔軟性の源泉を探った。(聞き手・文/小田真琴)
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自分で経験したことしか描けない
──デビューから47年がたった今でも、くらもち先生は「少女マンガ」をお描きになっています。同世代の多くのマンガ家さんが大人向けのマンガを描いたりしている中で、くらもち先生の唯一無二の存在感が際立ちます。
この世界に入って最初に覚えたスタイルが「実体験に基づいて描く」という方法でした。ウソのないものがいちばん読者に伝わるんですよね。デビューした当時の私がまだ10代だったからっていうのもあるんですけど、その「実体験」がたまたま少女の気持ちだったんです。
──年を重ねるとともに、その初期衝動が薄れたりはしなかったのでしょうか?
そういうものが自分の中でフィットしなくなっていけばおそらく変わったんじゃないかと思いますけど、あ、まだ全然本気で描ける!っていう状態が続いておりまして(笑)。
──すごいことですね。
私が独身で子どもも産んでいないから生活に変化がなかったということも大きかったと思うんですよね。スタイルを変えていかれる方は、自分の生活環境に変化がある方が多いので。
──編集サイドから大人向けを描いてほしいというオファーはなかったのでしょうか?
『別冊マーガレット』を卒業して『コーラス』に移ったときにありました。雑誌のコンセプトが「少女まんがもオトナになる」だったので(笑)。気持ちの中では大人っぽくしようとしていたんですけど、まぁ描いてみたら、やっぱり少女マンガだったんです。それが『天然コケッコー』。
主人公は中学生ですが、大人が読んでも喜んでもらえるものを描いたつもりでした。やっぱりまわりの状況にあわせて、スタイルを変えることはできなかったんです。
──先生の世代は24年組(※1)の洗礼をもろに受けてきたと思うのですが、その影響はなかったのですか?
わたしも高校生のころにハマりました! 『ポーの一族』を描く前のころの萩尾望都(※2)先生をよく読んでいました。「少女マンガ」の枠を取り去りましたよね。
──先生はそういう世界はお描きになりたいとは思わなかったのですか?
自分の器の限界を知っていますので……。読者としては楽しく読ませていただきましたが、自分の力を100%出しきれるっていうのは、自分のスタイルで描いてきた世界だったんです。
──過去の短編で『セルロイドのドア』というSFっぽい作品もありますが。
あれは子どものころから自分の頭にあった童話的な世界を描きました。こういう形もあるかなって思ってマンガにしたんです。