──やはり実体験だったのですね。作品の中に実際にお住まいになった場所もたくさん登場します。
私が小中学生のころは、みんな水野英子先生が描くドレス姿とかに憧れたものですが、その時代の読者は作家が想像で描いた作りごとの世界が好きだったんです。ところがある時期から学園ものとか恋愛ものが流行りだしたことでリアルが追求されるようになってきた。
そのころから私も舞台設定を意識するようになって、自分が生まれ生きてきた土地であったり、一度でも足を踏み入れた場所であったり、その空気を感じたことのある土地を描いて、物語の世界を作り上げるようになったんです。
──『いつもポケットにショパン』の舞台は代官山ですよね。
ピアニストになるために英才教育をうけるお子さんたちが住んでいるのはちょっと特殊な世界だと思ったんです。自分が知っている所ではどこなんだろうって思った時に、生まれ育った渋谷の代官山がありました。私がいたころは野っ原だったのですが、作品を描いた1980年代の代官山は、大使館があったりして高級感があった少し気取った街だったので、いいのかもしれないとチョイスしました。
──『海の天辺』は池袋、『駅から5分』『花に染む』は駒込、『天然コケッコー』はお母様の故郷の島根ですね。
『いろはにこんぺいとう』は以前に住んでいた社宅でした。やはり住んでいた場所というのは、思い出そうとするうちに、あんなことがあった、こんなことがあった、というエピソードも蘇ってくるんですよね。
──記憶力がいいんですね!
いやいや、逆です! 主人公の名前ですら忘れるんです! 打ち合わせでも、なんだっけほら……あの主人公の……みたいな! 『くらもち花伝』(※3)を出した理由のひとつも、最近あまりにも忘れっぽくなってきているので、記録してもらうためだったんです(笑)。
──逆に若くして売れっ子になってしまったがゆえに、できなかたったこと、描けなかったこともあったのでは?
やっぱり結婚とか出産をしていたら自分の作品にどう影響していたかを見てみたかったのはありますね。お見合いをしたこともあったのですが、マンガを描きながら主婦業をするというのは、今の時代なら理解してくれる方も多いのでしょうけど、当時はなかなかそういう方には巡り会えませんでした。
ただ20代、30代のころは、結婚願望がないわけではないんですけど、作品を描きたいという意識のほうが強かった。不器用な人間なんで、両方はできないなって。