「丸は、こう描くんだよ」
母親が、そう優しく伝えると、鉛筆を手にした生後7か月の赤ん坊は、上手に円を描いたという。これが天才の始まりだった。
漫画家で芸術家の楳図かずおさんが10月28日、都内のホスピスで胃がんのため亡くなった。
「“恐怖漫画”というジャンルを作った、日本漫画史に多大な功績を遺した鬼才でした。『へび少女』や『おろち』などでは人間の闇を、『漂流教室』や『14歳』などでは社会的な問題から生じる恐怖を題材に描きました。その一方、“グワシ”ポーズで人気を博した『まことちゃん』といったギャグ漫画も。晩年は展覧会などを開催したり、監督として映画を手がけるなど、多才な表現方法に取り組んでいました」(スポーツ紙記者)
多くの漫画家にも影響を与えた一方、長年住んだ東京・吉祥寺では、こんな声が。
「昔からよく見かけて、“街のシンボル”みたいな存在でした。30年以上前からトレードマークである赤白のボーダーシャツを着ており、飲み屋さんで会えばお話しすることもありました。必ず赤ワイン1杯でお会計をして、次の店に行くんです。近くの席になった際に“グワシってできるんですか?”と聞いたら、できなかった(笑)。懐かしいです」(吉祥寺に住む男性)
住民が「景観を損なう」と訴えた家
和歌山県にある高野山で生まれ、奈良県で育った楳図さんにとって、自然豊かな吉祥寺は居心地のいい街だった。
2007年には、外観が楳図さんのトレードマークと同じ赤白ボーダー柄の一軒家、通称『まことちゃんハウス』を建築するが、近隣住民と訴訟トラブルに発展したことも。
「赤と白を基調とした家が景観を損なうとして、建設中に近隣住民が工事の差し止めを求めて東京地裁に提訴したのです。裁判所は“景観の調和を乱すとまでは認められない”と、住民の訴えを退けました。完成後は、多くのファンが訪れる“名所”に。ただ、楳図さんは、この家を仕事用に使い、近くのマンションで生活されていたようです」(前出・スポーツ紙記者)