10月5日のサモア戦で見事トライを決めた福岡堅樹(27)。9月28日アイルランド戦でも後半18分に逆転トライ。続く後半37分にはボールを持って50メートル以上を独走。スタジアムが沸いた。
「追いつかれてしまいましたが、開幕前の南アフリカ戦でのケガがなければ、あそこは走り切れていました。足が速くてタックルもガチガチやる。トータルで日本史上最高のウィングだと言われています」
そう話すのはスポーツライターの大友信彦さん。
母が語る福岡選手とは
ロシア戦でハットトリックを決め、ジョセフ・ヘッドコーチから“フェラーリ”と称えられた松島幸太朗選手に“本当のフェラーリは福岡”と評されたほど。アイルランド戦を地元である福岡県古賀市の生涯学習センターで応援していたという母親・のぶさんは、
「前回のW杯では、勝った試合に出場できなかったので、本人にとっても、先が見えるキッカケになったと思います。試合後には足が心配だったので、大丈夫? と連絡をしたら“大丈夫だよ”と返事がありました」
父親の網二郎さんが地元チームでラグビーのコーチをやっていたこともあり、福岡も5歳からラグビーをはじめた。
中学時代にはこんな一面もあったと、のぶさんが明かす。
「いたずら好きで、前の席の子が座るときに椅子をひいて驚かせたりして。何度か私が中学校に呼び出されたこともあったんですよ(笑)」
高校時代は2度にわたって左右のひざの靭帯を断裂し、ケガに苦しめられた福岡。治療にあたった『まえだ整形外科』の前田朗院長は、
「すごく冷静ですね。2年生のときにケガで大会に出られないと伝えたときも“大丈夫です。来年があります”と淡々と事実を受け入れて、先を見ているような感じでした」
と落ち着いた人柄を伝える。
筑波大学時代のラグビー部監督である古川拓生さんの印象はどうか。
「とにかくまじめでしたね。自分で自分のことをキッチリと考えていた。だからといって人の意見を聞かないわけでもなかった。冷静にキチンと判断していたような印象です」
そんな福岡も実家では素の姿に戻るようだ。今年6月、宮崎県であった合宿の合間に4日間だけ実家に帰省した。
「帰ってきてひたすら“疲れた”と言うので、そうとうシンドイんだなと感じました。何が食べたい? と聞くと『だぶ』と言うので、作りました」(のぶさん、以下同)
『だぶ』は福岡の郷土料理でごぼうや里いもなどの根菜を煮込んだ汁物。母親の料理を食べ、さぞホッとしただろうが、実家にはほかにも癒しポイントがあるそうで。
「猫が好きで、飼っている猫を抱きながらソファに座って、コーヒーを飲むんです。癒されるみたいですね(笑)」
自分で決めたことはやり遂げる子どもだったというが、そこには父親の教えがあった。
「迷ったときは悔いがないように自分で決めなさい、と」
東京五輪後には引退し、医師を目指す。W杯の先の夢にもトライを決めてほしい!