自宅で開いた「考える会」
18歳になるまで、ひとりで部屋にこもって考え続けた。もしかしたら自分と同じような思いを抱えている人がほかにもいるのではないかという思いが広がった。ここが彼のすごいところだ。自分の悩みだけにこもるのではなく、自分の声を伝えながら、一緒に考えていくことはできないだろうかと思い立ったのだ。
「生きづらさを感じている人に自宅に来てもらって一緒に考える会みたいなものを始めたんです。最初はひとりしか来なかったけど、その人と話すことで私自身も救われる。続けていくうちに少しずつ増えていきました。その後、ネットをやるようになって、青森だけではなく全国のひきこもりの当事者や親たちとつながるようになりました」
小さな一歩が徐々に大きくなっていったが、父親はそんな彼を認めなかった。
「タダメシ食って、社会活動してそれが何になるのか」
「おまえはしょせん、支援される側なんだよ。黙って支援される側にいれば文句は言わない」
「おまえに人の話が聞けるわけがない」
暴言を吐かれ続けたが、彼は「自分の生き方が尊重されてもいいはずだ」と少しずつ信念をもつようになった。そうなれたのは、やはり『いのちの電話』のおかげだという。
「虐待やひきこもりについても、自分なりに勉強しました。親から虐待を受けた子が大人になったとき、どれほどしんどい思いをするのかもわかった。それは私にもあてはまります。簡単に働けというけど、自分で自分を認めることもできないのだから不安や葛藤が強くてそう簡単に働くことなんてできないんですよ」
今はひきこもり関係の活動で収入を得ているが、それは「雀の涙」だという。ただ、彼は自分が始めたこの活動に全精力を傾けている。