あえて“顔を見せない”励まし方

原田 鈴木先生ほどの苦汁をなめてはいませんが、僕も自分自身を叱咤激励するように心がけています。

鈴木 私からしたら、不倫できるなんてうらやましい話だけど、勝新太郎さんの時代ならともかく、今はすごく厳しいからね。奥さんは怒ってる?

原田 怒ってはいましたが、妻はとても寛大な女性なので離婚せずにすんでいます。妻には本当に感謝しかないです。

鈴木 それは奥さんに感謝しないとね。私が今も生き延びていられるのも、家族や友人のおかげですから。

原田 やはり、ご家族が支えになったんですか?

鈴木 女房は常に凛としている女性でね。私が逮捕されるときも「とにかくあなたは戦いなさい。私たちのことは心配ないから」と言って送り出してくれました。彼女はずっと強い覚悟を持って政治家の妻を務めてくれています。実は、私が勾留されているとき、女房は1度も面会に来なかったんです。

原田 えっ! 1度もですか?

鈴木 それが夫婦の絆なんですよ。彼女は私が情に脆いことを知っているから「家族の顔を見たらほだされてしまい、検察とも妥協してしまうかもしれない。ならば、顔を見せずに励まそう」というのが、女房の考えでしたから。

原田 もしかして、お子さんにも会えず……?

鈴木 はい。私が逮捕された当時、15歳の貴子はカナダに留学していました。日本の外にいて情報が得られない状況で父親が逮捕されたなんて、娘が精神的に不安定になるかもしれない。それが心配だったんです。

原田 わかります。僕も自分の不祥事によって子どもたちに精神的な負担をかけてしまったことが、本当に申し訳なく感じているので……。

鈴木 検察も私の弱みにつけ込もうと「娘さんが帰国してるそうですね。特別に娘さんに面会してもいいですよ」と揺さぶりをかけてきたんです。私も娘に会いたかったので、女房にお願いしたのですが、面会させてもらえませんでしたね。

原田 最愛の娘に会わせないことが、夫を守る術だと。鬼の決断ですね……。

鈴木 それこそが、女房なりの思いやりだったんですよ。

原田 それでは、娘さんとはまったく交流できなかったんですか?

鈴木 実は、私が勾留されている間、毎日、議員会館に娘からのFAXが届いたんです。「私のことは心配しないでください。お父さんは自分の歩いた人生を絶対に否定しないでください。お父さんほど公のために働いた人はいません」という内容でね。本当に勇気をもらいましたね。

原田 どれくらいの間、勾留されていたんですか?

鈴木 437日。衆議院議員としては戦後最長です。

原田 すごいですね!!

鈴木 でも今では、戦ってよかったと思ってるんですよ。私が戦い続けたことで「この事件はおかしいぞ」と、世間の見方が少しずつ変化していったんです。何事もブレずにいると、誰かが認めてくれるんですよね。