やせ細ってヒゲはボウボウ、髪はボサボサ。ヨレヨレでしたけど、着ている服はそれなりのものでした。格好つけていたのか、それしかなかったのかはわからないけど。最後に見たのは10日前ぐらいかな。コンビニでお弁当と缶ビールを買っていました」(近所に住む女性)

 '10年の週刊女性インタビューで、コンビニ弁当のことを話していたことがある。

《メシは自分で作って食うのも面倒だからコンビニ弁当が多い。398円と498円のがあるが、何を食べても同じに感じる。3か月で12キロはヤセたな。ダイエットするならコンビニ弁当がいいぞ(笑)。ただ、広い庭を生かして、バーベキューはときどきしている。スパイスは自然の風、音、湿度、香り。串に刺した肉塊を直火にかざしてそのまま食らうと、原始の記憶を呼び覚ましてくれる》

 庭がなくなってからはバーベキューはできず、主食がコンビニ弁当に……。

「コンビニでは若い人と話ができるのが楽しかったみたい。ひょうひょうと歩いていましたけど、健康という感じではなかったよ。昭和のスターだった面影はなく、宍戸錠だと言われなければわからないと思います」(近所に住む男性)

宍戸錠さんが思い残したこと

'01年に頬に入れたシリコンを除去した宍戸錠さん、晩年はひっそりと生活を
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【貴重写真】ダンディな宍戸錠さんと男前な宍戸開の風呂ショット

 訃報から2日後、紫しえは日活を通じて密葬したことを文書で報告。

《私達親子は長年過ごしてきた強面の宍戸錠とは思えない時を過ごすことができました。母の遺言である「しえが最後まで映画俳優・宍戸錠でいさせなさい!」を全う出来たと思います》

 宍戸開は《俳優として、父親として、厳しい顔、優しい顔を持った父でした。本当に多くの事を学びました》とコメント。ただ、亡くなってから数日がたち、誰にも看取られない孤独な死だった。

 破天荒な人生を思いどおりに駆け抜けた宍戸さんだが、思い残したこともある。'14年の週刊女性インタビューで、小説を書きたいと話していた。

90歳の殺し屋が100歳のヤツにヤラれるって話なんだ。100歳になってから勝負すりゃよかったって後悔しながら死んでくんだよ。完璧な小説を書いて、90歳になったら映画を撮る。小説と同じ“90歳の殺し屋”がテーマ。日本には90歳の俳優はあんまりいないじゃない。だから俺がなる!

 殺し屋の役で一世を風靡したのだから、最後も殺し屋を演じてこの世を去っていく。ダンディーな昭和の銀幕スターは、お楽しみを天国へと持っていってしまった。これも“ジョー”が描いたシナリオだったのかもしれない。