ひきこもり当事者と予備軍に、一筋の光を
ただ、幸か不幸か、この一連の事件発生を機に事態が進展したこともあった。
根本匠・厚生労働大臣が、家族会と面会し、意見交換を交わすこととなり、報道陣に向けて「引きこもり状態にある方が相談しやすい体制を整備するとともに、安心して過ごせる場所をつくる」とのメッセージを発した。
また、昨年7月31日には、首相直轄のプロジェクトとして、内閣官房に『就職氷河期世代支援推進室』が設置された。プログラム関連予算は、'20年度の概算要求が1344億円という大規模な事業で、ここに「ひきこもり(8050等の複合問題)支援」も支援対象として組み込まれたのだ。
ひきこもり当事者の“状態”を加味せず、ただ正規雇用を目指すという点には問題もあるが、問題が認識されたという事実は大きい。
さらに、時系列は前後するが、'19年1月、これまではひきこもり支援の対象年齢を34歳までとしていた東京都が上限年齢を撤廃し、所管を青少年政策の部局から、福祉部局へ移している。
以前は石原慎太郎都政の時代に発足した『青少年・治安対策本部』がひきこもりの支援にあたっていた。すなわち、治安を良くするために更生する対象であるとしてきたのだから、“犯罪者予備軍”として扱ってきたのは、メディアだけではなかったのだ。
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こうした「ひきこもり」の問題を語るとき、あなたはどんな立場から物事を考えるだろうか。読者の中には、現在つらい立場におかれ、「自分もいつ、ひきこもることになってもおかしくない」と感じる人もいるのではないか。
'87年生まれの筆者もその一人で、大学時代の'08年、リーマン・ショック後の極めて採用数が少ない時期に就職活動を行い、内定がもらえず、2年間にわたって就職留年をした経験がある。
周囲が内定を得ていくなか一社も通らず、自分には価値が無いような気がして、気力が無くなっていった時期があった。なんとか就職した後も、ややブラック気味な職場に疲れ、約2年半勤務したのちに退職。約1年間、実家でニートのような、それこそ、ひきこもりのような生活をしていた時期もあった。
昔からとてもかわいがってくれていた大好きな祖母は、娘である母に「お小遣いをあげるのが孫のためになるかわからない」と相談していたようで、働いていない自分をよく思っていないのだろう、と心を痛めた苦い記憶もある。
このように、ひきこもりに近い状態だった時期、朝が来ることに毎日おびえていた。就職活動をしても、空白期間があると、すんなりとは話が進まない。そして朝がくると、人々が学校や会社に行く。社会活動を営んでいる世間に比べ、自分には価値がない、と感じてしまう。また、家族と顔を合わせないためにも、朝日がのぼるたびに部屋に戻り、じっとしていたのだ。この感覚は、ひきこもりの当事者に話しても、共感してもらえることが多い。
別の理由で、朝日におびえる人もいるだろう。ブラックな会社で働いているため、出社するのが怖い、また、病気に悩む人が、自分のできないことばかり気になって、絶望する場合だってあるだろう。
夜明けの眩しさにおびえるのは、あなただけじゃない──。
まずは、この記事によってひとりでも多くの人にそう感じてもらえるとともに、読者がひきこもりに関する社会の動向を把握し、当事者とその家族を正しく理解するための一助となったら本望である。
(取材・文/森ユースケ、取材協力/『ひきこもり新聞』編集長・木村ナオヒロ)
【PROFILE】
池上正樹(いけがみ・まさき) ◎通信社などの勤務を経て、現在フリーのジャーナリスト。『KHJ全国ひきこもり家族会連合会』広報担当理事。1997年から日本の「ひきこもり」界隈を取材を長く続ける。著書に『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』『大人のひきこもり』など。TVやラジオにも数多く出演。
斎藤環(さいとう・たまき) ◎1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学、ラカンの精神分析。『ひきこもり』診療の世界的な第一人者として、治療・支援ならびに啓蒙活動に従事。著書に『中高年ひきこもり』『社会的ひきこもり』『家族の痕跡』『母は娘の人生を支配する』『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。