このとき、初江さんの判断力が正常であったかどうか、もはや検証するすべはありません。遺言は日付が新しいほうが優先されます。この時点で、10年前に書いた自筆証書遺言は無効となりました。太一さんは遺産を諦めざるをえませんでした。初江さんから一方的に嫌われ、自宅に入ることも許されず、公正証書遺言についても一切知らされなかったのです。
この事例を見てわかるとおり、自筆証書遺言を作成する際には注意が必要です。自分で書いて手元に置いておけば確かに安心かもしれません。しかし、再度読み返して気が変わるということもあれば、認知症が進んで自分が書いた内容さえ忘れてしまうこともあります。遺言の内容をすぐに変更できることは自筆証書遺言のメリットですが、リスクでもあります。
こうした自筆証書遺言のリスクを解消するため、2020年7月から「法務局における遺言書の保管等に関する法律(遺言書保管法)」が施行されることになりました。この法律によって、今後は自筆証書遺言を法務局に預けられるようになります。
少なくとも、改ざんや紛失、不発見のリスクがなくなるので、実質的に自筆証書遺言も公正証書遺言に近い信頼性が担保されます。自筆証書遺言がいいか、公正証書遺言がいいか、どちらが正解ということはありません。起こりそうなリスクを事前に考え、そのリスクの芽を摘みとる行動を1人でも多くの人にとっていただきたいものです。
親の面倒を見ている姉が預金を勝手に使い込み
次にご紹介するのは、親の介護をしている親族が勝手に資産を使い込んだという疑惑が持たれたある家族のケースです。相続争いでありがちな例の1つです。
「お姉ちゃん、これどういうこと! 説明してよ?」。次女の奈津美さんが大声で長女の春美に詰め寄りました。手にしているのは、母親が遺した銀行口座の取引明細書です。
次女(奈津美さん):「お母さんの預金通帳が見つからないから、銀行に頼んで取引明細書を出してもらったのよ」
長女(春美さん)「取引明細書? 何のために?」
次女:「何のため? それはこっちが聞きたいわよ」
奈津美が指さした取引明細書の欄には、毎月70万円もの現金が引き出された記録が載っている。
長女:「だから何なの? お母さんのために生活費をおろしただけでしょ」
次女:「90歳のお母さんが毎月70万円ものお金を何に使ってたっていうの? おかしいよね、こんな大金」
長女:「介護を手伝ったことのないあんたたちにはわかんないわよ。ホームヘルパーさんを頼んだり、デイサービスに行ったり、お金がかかるのよ、年寄りは」