記憶もない国へ「いつ帰る?」と迫られ
メメットさんは勤め先に「在留資格を失った」と報告し無職になった。また家族全員が就労不可の仮放免者として登録されたため、姉妹の卒業後の進路も不透明だ。
それでも、ロナヒさんは自身の将来よりも父の収容を恐れている。
「仮放免の更新手続きは2か月ごとにあります。その1週間ほど前から父は収容への恐れから眠れなくなっています。収容は数年前までは長くても半年くらいでしたが、今では家族と引き離された状態で2年、3年という長期収容が当たり前。父がそんな目に遭うのはイヤです」
収容が長期に及び、「抑うつ状態」や「拘禁反応」などを発症する外国人を筆者は入管施設で何人も見ている。
「入管は、外国人を就労不可の仮放免にしたり、家族と引き離し長期収容することで、本人が音をあげて“自分で帰る”と言う自主帰還を待っているんです」(ロナヒさん)
実際、仮放免の更新手続きの際、ロナヒさんは職員から毎回「仮放免なら卒業しても働けないとわかっていますね。いつトルコに帰る予定ですか?」と尋ねられるという。
次女のロジンさんはもともとキャビンアテンダントになる夢をもっていた。だが、在留資格がない以上、国境を越える仕事はあきらめざるをえず、目標を看護師に変えた。
'19年4月、ロナヒさんは短期大学へ、ロジンさんは看護学校へと進学した。授業料などは両親の貯金を切り崩して工面するが、その生活は若い女性の「当たり前」を許さない。ロジンさんは現在の生活について「友人から週末に遊びの誘いがあっても、いつも嘘を言って断ります。仮放免だからアルバイトもできません。新しい服だって買えない」と、苦しい心情を吐露した。
この現状打破のため、メメットさんは「特定活動の更新不許可の処分取り消しを求める裁判」を起こす。'19年3月から'20年1月まで5回の口頭弁論が行われたが、家族が訴えるのは「トルコには帰れない」ということだ。メメットさんは「帰ると間違いなく逮捕される」と恐れ、姉妹は「トルコの記憶はほとんどないし、向こうでは看護師と保育士の資格も活かせない。生活基盤もない」と、あくまで日本での生活を望んでいる。
この裁判を担当する大橋毅弁護士は「裁判所がどんな判決を出すか全くわかりません。本国送還も収容もありうるが、何かしらの在留資格を認めるのかもわからない」と、簡単な裁判ではないと強調した。
筆者が強調したいのは、国際社会はクルド人が置かれている社会的背景を理解していることだ。だからこそ、先進諸国ではトルコ国籍者への難民認定率は約35%('17年)と高い。だが、日本ではその数がゼロなのだ。
メメットさんの裁判はここに風穴をあけるだろうか。ロジンさんは「多くの方の力が必要です」と訴える。関心のある人は、次回の口頭弁論がある3月18日10時半、東京地裁522号法廷に傍聴に来てほしい。何のルール違反もしていない若い女性の夢が理不尽な理由で壊されることがあってはならない。
(取材・文/樫田秀樹)
樫田秀樹 ◎ジャーナリスト。'89年より執筆活動を開始。国内外の社会問題についての取材を精力的に続けている。『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)が第58回日本ジャーナリスト会議賞を受賞