とはいえ、元農林水産省事務次官に殺害された息子さんは母親や父親に暴力を振るっていたと言われています。実際、ひきこもりの人の3、4割に家庭内暴力があるように、私自身も感じています。そのような暴力的な人間なら、殺人事件を起こしても不思議はないと思われるかもしれません。

 しかし、たとえ家庭内暴力があったとしても、外でそれが起きることはほぼ皆無です。ひきこもりでも、また不登校でも、家で怒りにまかせて暴力を振るっていても、外では決してやりません。なぜでしょうか。

 怒りは、相手との距離が近くなるほど強く感じるものです。人は赤の他人にはめったに怒ったりしません。友だちや恋人、配偶者、親、兄弟姉妹、子どもなど、近しい関係になればなるほど怒りを感じるのです。

 さらに、心理学では「怒りは第1感情ではない」と言われています。怒りの前には必ず「別の感情」が生まれていて、この「別の感情」が第1感情であり、怒りは第2感情です。つまり、怒りの前に生まれる第1感情が怒りの正体なのです。

家庭内暴力は彼らの「悲鳴」だ

 では、怒りの正体とはなんでしょうか。それは悲しみです。こうあってほしいのにそうじゃない、こうなるはずだったのに、そうならないという悲しみが怒りの正体であり、第1感情なのです。それでは、なぜ相手が距離の近い人間であるほど怒りが湧き、悲しみを感じるのでしょうか。

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【写真」社会に衝撃を与えた川崎と元農水省事務次官の事件現場

 それは「愛情」があるからです。愛情があるから悲しくて、愛情があるから怒るのです。家庭内暴力の正体は、彼らの愛情が愛する人に伝わっていないことへの悲鳴なのです。ですから、ひきこもりの人は、母親や父親など家族には怒って暴力を振るうことはあっても、愛情のない外の人間に対して決して暴力行為を行うことはないのです。

 かく言う私も、口論などで母に怒ったりすると、罪悪感を覚えたものでした。しかし、心理学を学んでからは、母に怒って大声をあげても、そのあと落ち込むこともなくなりました。「ああ、母に対して愛があるからなのだなあ」と思えるからです。

 家庭内暴力があっても外へ向かって暴力を振るうことはほとんどないということや、ひきこもりの人が殺人事件を起こす割合が全体の0.2%でしかないという事実を考えても、ひきこもりが犯罪者予備軍というのはまったくの的外れな考え方であり、このことはいくら強調しても強調しすぎることはないと考えています。


桝田 智彦(ますだ ともひこ)臨床心理士 親育ち・親子本能療法カウンセラー。学生時代から作曲家を目指し20代前半にグループでプロの音楽家としてCDデビュー。その後、デザイン職とSCSカウンセリング研究所の准スタッフをしながら、音楽活動を継続したが、30歳を前に親友を不幸なかたちで亡くしたことにショックを受け、ひきこもる。SCS代表である母の取り組みによって、ひきこもりから回復。30代から大学・大学院へ進学し、臨床心理士資格を取得。精神科クリニック勤務経験を経て現在、SCS副代表、東京都公立学校スクールカウンセラーとして、ひきこもり・不登校支援に従事している。著書に『親から始まるひきこもり回復』(ハート出版)がある。