明智光秀はどんな生涯を送ったのか!? その生涯を記したとされる『明智軍記』をはじめ、彼の足跡を読み取ることができる史料をもとに、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の聖地を巡礼。その足跡をたどれば、光秀の思いが見えてくるかも──。
◆ ◆ ◆
江戸時代中期に書かれたとされる『明智軍記』に従うなら、美濃に生まれたという光秀。死後100年ほどたったころに書かれた、創作を含む史料ではあるものの、光秀の数少ない実体を教えてくれる貴重な手がかりであることは間違いない。
光秀生誕の地の最有力候補が、現在の岐阜県可児市にある明智城跡。斎藤義龍に攻められ落城するまで、生まれてから30年近くを過ごしたと考えられている、別名・長山城とも呼ばれる山城だ。
明智城跡&天龍寺
最寄り駅は、名古屋駅から1時間ほどの名古屋鉄道広見線の明智駅となるが、さらに歩いて20分ほどかかるので体力と時間に余裕を持つように。バスは土日祝のみの運行かつ本数が少なく、タクシーはほとんど通らないので、のどかな風景を横目に、光秀の故郷を目指すのが現実的だろう。
また城跡の麓(ふもと)には、明智家歴代の墓所を持つ天龍寺(地図1 写真ページ参照)がある。
「テレビの影響はすごいんだなと実感しています」と笑うのは、天龍寺のお庫裏さん。
「光秀公が亡くなったとされているのは6月13日なので、毎年6月上旬に『明智城址保存会』からの依頼で、光秀の霊を慰める「光秀供養祭」を行っています」
なんでも、桔梗印の明智光秀生誕ロゴマークが入った御朱印も人気なのだとか。近くには、本尊の薬師如来坐像を含め、24体の国指定重要文化財を保有し、1200年の歴史を誇る古刹(こさつ)・大寺山願興寺もある。願興寺の門前町として発展した『御嶽宿』は、明智駅から東にあり(御嵩駅周辺)、明智城からも近かった。光秀は、教養が高く、知識人であったとされているが、文化の薫る門前町に近かったことも一理ありそうだ。